弁護士との顧問契約というものを、ご存じの方が多いと思います。


主に、会社などの法人が、弁護士もしくは弁護士法人と顧問契約をして、月々決まった顧問料を支払う代わりに、法律相談を無料で受けることができるというのが一般的です。

顧問料は、以前、日弁連の規定があったときは(今はなくなっています)、月額5万円以上となっていました。


私の事務所でも、たくさんの顧問契約をしていただき、月々の安定収入になっていました。

ただ、中小企業が多かったので、顧問料が、月2万円とか3万円の顧問先が、けっこうありました。

そういう意味では、大企業相手の法律事務所に比べると、顧問先の数は多くとも顧問料収入は少ない、というのが実情でした。


そうはいっても、安定収入というものは法律事務所にとって、ものすごくありがたいものです。

「顧問先は神様です」というのが私の口癖で、いつの間にか事務の女の子たちにも移ってしまいました(笑)。

顧問先の若手経営者や2代目などを集めて毎月勉強会を催すなど、顧問先サービスには全力を注いでいました。


ある日のことです。

顧問先のひとつである山川水産(仮名です)の社長から電話があって、

「取引先が納品した水産物の売掛金をなかなか支払ってくれないのです」

という相談がありました。


「神様」である顧問先からの相談ですから、時間をやりくりして早急に面談することになりました。


山川水産の山川社長は、とても謙虚でおとなしい人柄なので、取引先にあまり強く支払いを請求できなかったようです。

山川社長が取り出した請求書の写しを見て、私は一瞬愕然としましたが、取り急ぎ確認事項を聴取することにしました。


「売掛金が300万円弱で、納入先は松本商事ですね」

「ええ」

「相手は、どういう理由で支払いを拒んでいるのですか?」

「なんでも、納入した品物に不良品がたくさんあったとのことです」

「不良品なら、返品してもらって不良かどうかを確認し、本当に不良であれば別の品物を納品すればいいはずですが?」

「私もそう言ったのですが、ともかく不良品だから払わない、の一点張りで、当社から出向くといっても不良品の検査に応じてくれないのです。出向くこともでっきず、仕方がないので請求書を発行しては、時々電話で催促してました」

「松本商事との取引は長いのですか?」

「まずまず、というところです。ただ、数年間に社長が息子に代替わりしました。新社長との面識は数えるほどです」

「そうですか・・・」


私は、先ほど出してもらった請求書の写しを山川社長に見せて、

「この日付は間違いありませんか?納品の日付です」

「間違いありません」

「3年前ですね」

「はい」

「そうですか~。実は・・・売掛金は2年で時効になってしまうのです」

「え!ということは、もう消えてしまっているのですか?」

「そういう訳ではありません。しかし、相手の松本商事が時効消滅を主張すると、あ、これを専門用語で”時効の援用”というのですけどね、裁判で訴えても敗訴してしまいます」

「そうなのですか~」

山川社長は、がっくりと肩を落としてしまいました。


「社長。印紙代と郵券代、わずかな金額ですが、それをご用意いただけませんか?ダメもとでも私が訴訟を提起します。先ほど申し上げた実費以外は一切不要です」

「でも、負ける訴訟で先生の手を煩わせるのは、申し訳ないですよ」

「ここが顧問契約をしていただいているメリットとお考え下さい。いいですか、私が訴訟を提起すれば、松本商事も弁護士に依頼しなければならないでしょう。無償でやってくれる顧問弁護士がいれば別ですが、顧問弁護士もいない会社だったら、一般事件として弁護士に依頼しなければなりません。もちろん、300万円の訴訟ですから弁護士費用といってもそれほどはかからないでしょう。でも、このまま放っておくのはシャクじゃないですか」

「つまり、せめて、松本商事に弁護士費用くらいは負担させてやれ!というのが、先生の考えですか?」

「ご明察です。黙っていたらなめられます。なめられたことが業界で広がれば、御社にとって、今後の他社との取引にも悪影響が出るでしょう。ここは、敗訴覚悟であっても、ガツンと訴訟を提起しましょうよ」

「わかりました。お任せします」


という事情で、私は山川水産の代理人として、松本商事に対し、売掛金支払い訴訟を提起することになりました。


訴状は、被告(松本商事)が商品に不良品があるとの理由で、原告(山川水産)に商品代金を支払わない。

よって、300万円の商品代金と遅延損害金を支払え。

という、ありきたりのものでした。


被告(松本商事)には、大阪の弁護士が代理人となって、答弁書が送られてきました。

答弁書には、納品した商品の不良の程度などが詳細に書かれ、このような不良品の代金を支払う義務はない、という主張で、売掛金の消滅時効の主張はありませんでした。

また、乙号証(被告の証拠)として、商品の写真のカラーコピーが何枚か同封されてきました。


その写真を山川社長に見てもらったところ、

「確かに、多く見積もれば3分の1くらいの商品が傷んでいますね。夏場だったので、運搬中に痛んだのかも知れません。しかし、残りの3分の2は、写真を見る限り、不良品ではありません」

とのことでした。


これは、もしかすると、もしかしたりして~、被告側弁護士が短期消滅時効を失念しているのではないだろうか?

と、私は思いっきり期待してしまいました。


しかし、被告代理人弁護士は2名の連名になっています。

おそらく、一人がボス弁でもう一人がイソ弁でしょう。

(事務所の経営者弁護士のことをボス弁と呼び、雇われている弁護士をイソ弁と呼ぶのが、弁護士業界では一般的なのです。また、訴状や答弁書が連名になっていても、現実に訴訟を担当するのは弁護士一人という場合が多いのです)

本事件は、おそらくイソ弁である鈴木弁護士だけで進めるはずだけど、三人寄れば文殊の知恵というように、弁護士が2人そろって短期消滅時効を失念すると期待するのは甘すぎるだろうな~。

鈴木弁護士がボス弁に訴状と答弁書を見てもらえば、いずれ気づくだろう。


私の悪い予感が的中して、第二回口頭弁論の準備書面では、

「売掛金の時効は2年であるから、時効を援用する」

と書かれていました。


第2回口頭弁論期日、裁判官もいる法廷で、

「時効援用するおつもりですか?しかし、考えても見て下さい。この業界は狭いですから、松本商事さんが時効にまで売掛金を支払わずに時間を稼いで、時効が過ぎたからといって踏み倒した、という風評が立ったらどうでしょう。決して、松本商事さんの将来の商売にとってプラスにはならないのではないでしょうか?」

と、私は鈴木弁護士に向かって話しました。

「では、原告はどのような解決を考えているのですか?」

と、裁判官に尋ねられたので、

「次回を和解期日にしていただけませんでしょうか?当方としては、不利なことは承知しておりますので、大幅に譲歩するつもりがあります」

と答えました。

鈴木弁護士も、それでは一応和解で話し合いだけでも、ということで合意してくれたので、次回は和解期日ということになりました。


和解期日。

不良品が3分の1あったことと時効が成立しているという事情を斟酌し、請求金額の3分の1である100万円を支払ってもらえないか、と私は主張しました。

しかし、100万円は難しい、という被告側の態度が硬かったので、

「これからも、被告会社と原告会社の間で取引があるかもしれません。ここは、末広がりの80万円ということで水に流しませんか?」

と、私は提案しました。

被告側も、

「まあ、先々のこともありますしね」

ということで80万円を一括して支払うという和解が成立しました。


その月末に、山川水産の銀行口座に80万円が入金されました。

当日、山川社長から電話があり、

「本当にありがとうございました。これからは、時効の怖さを胸に刻んでおきます。損した分は授業料だと割り切ります」

と、うれしそうな声で、感謝していただきました。

「あと、夏場の運搬にもご注意下さいね」

と言って、私は山川社長との会話を終えました。


顧問契約をしていただいている恩返し(といってはヘンですが)ができて、私も本当にうれしかったと記憶しています。