「このようなものが裁判所から届きました」


私とほぼ同年代の川村さん(仮名です)が、事務所に相談に訪れ、鞄の中から書類を出しました。


「これは、訴状と呼出状ですね。え~と、提出期限と呼び出し期日は・・・まだ大丈夫です」


裁判所から訴状と呼出状が届いても、しばらく放って置いて呼び出し日の直前になって持ってくる人が時々います。

これはとても危険なことです。

呼び出し日に出頭しないと、民事訴訟では「欠席判決」というものが下され、原告(訴えた側)の全面勝訴になってしまうからです。

ですから、直前にそれらの書類を持ってこられた弁護士は大変。

大急ぎで、訴状に対する答弁書(被告側が原告の主張である訴状の内容を争うというもの)を作成して、取り急ぎ裁判所に提出しなければなりません。

細かな反論は、後日ということにして。


川村さんの訴状は概ね次のようなものでした。


原告である武本さん(仮名です)と川村さんは、2人で共同で事業をやることにした。

武本さんは、事務所を借りたり備品を購入するため、銀行から1000万円を借りた。

川村さんは、事務所を探したり借りたりする仕事や備品を買ってそろえる仕事、はたまた見込み顧客を1件、1件訪問して事前営業などを行った。

1年間、共同事業は続いたが、思ったように収入がなく赤字続きになったため、経営を止めることになった。

武本さんには1000万円の借入金が残ってしまったので、共同経営者である川村さんに半額の500万円を支払って欲しい。


「なるほど~。共同経営を開始するに当たって2人で契約書は交わしましたか?」

「いいえ。昔からの知り合いだったので、特に契約らしきものはしてません」

「じゃあ、口約束でもいいですから、何らかの取り決めはしませんでした?」

「それも結構アバウトで、武本さんがお金を借り、私が開業の準備やお客さん回りを担当するということと、売り上げは折半にしようということくらいでした」

「それで、川村さんは1年間で、この事業からいくら収入を得たのですか?」

「200万円くらいです。このまま続けていれば収入はなくなったでしょう」

「わかりました。この訴訟を引き受けますので、共同事業をやっていた1年間の収入を示すもの、例えば預金通帳とか明細書とかを持ってきて下さい」


ということで、私は川村さんの代理人として、本件訴訟の被告代理人に就任しました。


十分時間があったのと、早めに川村さんが明細書を持ってきてくれたので、詳細な答弁書を書くことができました。

答弁書の概略は次のとおりです。


原告(武本さん)と被告(川村さん)の共同経営の約束は、民法上の組合契約である。

(組合というと、農協や漁協を想定する方が多いと思います。しかし、民法上の組合は、複数の私人同士がそれぞれ全員と契約して、各人が出資して何かの事業をやったりするもので、2人で出資して共同経営の約束をするのも立派な組合契約なのです)

原告は1000万円の金銭出資をし、被告は事前準備や営業活動などの労力を出資した。

出資比率は、およそ原告7割、被告3割と考えられる。

今般、共同事業を解消したというのは、組合契約の解散であり、原告と被告は残存価値を出資比率に応じて分配すべきものである。

残存価値としては、事務所の敷金150万円、備品売却益10万円、原告が1年間で得た利益300万円、被告が得た利益200万円の、合計660万円である。

それを、原告と被告の出資比率で分配すると、原告462万円、被告198万円となり、被告には残余財産から198万円を受け取る権利がある。

被告は、残余財産のうち200万円を保持しているので、被告が原告に支払うべき金銭は、200万円から取り分198万円を差し引いた2万円に過ぎない。


要するに、当初2人は民法上の組合契約を結んで、原告は金銭出資を、被告は労力出資をしたのだから、解散するときは、残ったお金等を当初の出資比率で分けるのが原則だということです。

そして、出資比率を7対3とすれば、残った財産を原告が7割、被告が3割で分け合うべきだという主張です。


第1回口頭弁論期日で、訴状と答弁書に目を通していた裁判官は、双方に和解の打診をしました。

双方とも、それに応じ、次回は和解期日ということになりました。


私は、和解期日までに川村さんと面会し、

「いくらなんでも、2万円では相手は納得しないでしょうし、判決になってもそれなりの金額の支払いを命じられるでしょう。川村さんが、現在払える金額はどのくらいですか?あ、もちろん、借金するなど無理はしないで下さいね」

と、和解金の支払い意思を打診すると、川村さんはビジネスマンらしく、きっぱりと答えました。

「150万円が限度です。この金額なら持ち合わせがあります。それ以上支払わなくならないとなると、当面の生活費もままならなくなります」

「了解しました。限度150万円で交渉しましょう」


和解期日、私は川村さんに同行を頼んで、控え室で待機していました。

担当書記官が、まず私に和解室に入るよう促しましたので、私は裁判官待機している和解室に入りました。


「え~と、ですねえ。今回の事件は確かにご指摘の通り組合契約だと私も考えます。しかし、原告は1000万円も出資しているので、出資比率が7対3というのでは、原告は絶対に応じませんよ。ざっくばらんに伺いますが、被告としてはいくらまでなら支払う気持ちがありますか?」

裁判官の質問に対して、本件では値切り交渉は得策ではないと考えた私は、

「駆け引きなしで申し上げます。150万円が限度です。この金額でしたら一括でお支払いできますが、それより高くなると被告には支払い能力がありません。それ以上の金額を支払えとの判決をいただいても、原告側は資産を持たない被告に対して強制執行もできないでしょう。」

「そうですか~。200万円くらいまで、何とかなりませんか?」

「最初に申しましたように、本件では一切駆け引きするつもりはありません。被告本人と相談した結果、最大限支払える金額を提示しました」

「わかりました。それでは、原告と代わって下さい」

和解室を出て、原告代理人に声をかけてから、私は控え室に戻りました。


「川村さん。駆け引きなしで150万円をぶつけました。原告が納得しなくとも、それより高い金額は取りようがありませんので、裁判官の説得に期待しましょう」

「そうですね。でも先生、こういう時って、ある意味”ない者勝ち”みたいなところがあるんですね」

「ええ、私は、これを”無資力の抗弁”と勝手に呼んでいます。幸か不幸か、川村さんは持ち家がなくてご両親の家に住んでおられますし、勤め人でもありません。不動産強制執行や給与の差し押さえもできません。反対の立場からすると”無資力の抗弁”は一番頭の痛いものなのです」


原告代理人(弁護士)と原告本人である武本さんが和解室に入って、随分時間が経ちました。

武本さんがなかなかなっとくしないんだろうな~と、私は思いながら、ともかく待つことにしました。


「被告代理人とご本人で入って下さい」

書記官に呼ばれて、川村さんと私は和解室に入りました。


「原告本人がなかなか納得しなかったのですが、金額的には150万円で説得しました。一括で支払っていただくのはもちろんですが、いつまでに支払えますか?」

どうやら、裁判官の説得が効を奏してようです。

「月末までにはお支払いします」

川村さんは、きっぱりとした口調で答えました。

「わかりました。今月末限り、原告代理人もしくは原告本人の銀行口座に振り込むということで、よろしいですね!」

念押ししてから、裁判官が原告側を和解室に入れました。

「今月末までに、ということです。原告はそれでよろしいですね」

「ええ、致し方ありません」

原告代理人の弁護士が、少し苦々しい口調で応じました。

「ということで、和解成立です。これから調書を作りますから、何か付加することがあったら言って下さい」


このような次第で和解が成立し、川村さんは約束どおり月末までに150万円を送金しました。


銀行に1000万円を返済し続けている武本さんにはお気の毒ですが、川村さんも限度一杯の金額を支払ったのです。

いずれにしても、”無資力の抗弁”は、民事事件では最強だな~、と改めて実感した次第です。