80歳前後と覚しき男性が、相談にやってきました。

少し耳が遠いのか、大きな声で、たどたどしく話を始めました。


「実は・・・ですな。この書類に名前と印鑑を押した敦子(仮名です)が、印鑑証明書を何度電話で催促しても送ってこないのです」

「ちょっと拝見」

と言って、その書類を見ると、どうやら公道を作るために土地を国(県だったかもしれません)に売却する書類で、何名かの連名で署名・捺印がなされていました。


「これは、国道を通すために、国に土地を売却するための書類ですか?」

「そうです。私の父名義になっている土地でしたので、相続人を司法書士さんに探してもらって、全員の署名・捺印と印鑑証明書が必要とのことでした」

「失礼ですが、山田さん(相談者の仮名です)のお父様名義でしたら、法定相続人はたくさんいらっしゃったのではないですか?この連名で書かれた方々で全員ですか?」

「ええ、全員で11名です。その中に、太田敦子というのがいるでしょう」


連名の中から太田敦子さんの名前を見つけました。

「この方ですか?」

「そうです。実は、敦子とは、あいつが幼いときに顔を合わせたきりでして・・・現在は大阪に住んでいることがわかりました。そこで、敦子に連絡して、伝えたいことがあるので一度私の家に来て欲しい、と頼みました。半年前、敦子は夫を連れて私の家に来て、この書類に名前を書いて印鑑を押してくれたのです」

「しかし、印鑑証明書も必要だということですね?」

「そうなのです。先ほど申しましたように、敦子はなぜか印鑑証明書を送ってくれないのです」


私は、きっと何らかの理由があって、敦子さんが印鑑証明書をわざと送ってこないのではないか、と思いました。


「敦子さんが印鑑証明書を送ってこない理由に心当たりはありませんか?」

「いいえ。私にはサッパリわかりません。そこで、先生に敦子を説得してもらいたいと思って、こうして伺った次第です」

「わかりました・・・。ところで、この道路の補償金(代金ですね)は、いくらくらいになるのですか?」

「さあ・・・数千万円だと聞いておりますが・・・」

「はっきりわからないのですか?」

山田さんに見せてもらった書類だけでは、金額が確認できなかったので、着手金として50万円、報酬金として100万円の弁護委任契約を結ぶことにしました。


弁護委任契約書に署名してから、山田さんは契約書を吟味するように見ながら私に尋ねました。

「これは、うまくいったら合計150万円お支払いする、という意味ですか?」

「はい、その他、郵便代や訴訟になったときの印紙代は別途お支払いいただきますが、それらは、それほどたいそうな金額にはならないと思います」

「先生!一本にはなりませんか?」

と、山田さんはニヤニヤしながら私の顔を覗き込んで言いました。

「一本というのは、合計で100万円ということですか?それは勘弁して下さいよ。うまくいけば数千万円もの大金が入るのでしょう。しかも、公用ですからおそらく無税で。これでも随分お安くしているのですから・・・」

「よ~くわかりました」

山田さんはあっさりと納得して、弁護委任契約書のコピーを持って、帰っていきました(ちなみに、私は依頼者の2度手間を省くため、依頼者が特に原本を望まない限り、弁護委任契約書のコピーを依頼者に渡すようにしていました)。


預かった書類に記載されていた太田敦子さん宛、私は次のような趣旨の内容証明郵便を送りました。

「当職は、山田某の代理人として、貴女様にご連絡する次第であります。貴女様は、去る○年△月×日に、山田宅にて、山田某の父親名義の不動産の売却に関する書類に、相続人のお一人としてご署名、ご捺印されました。ご承知のとおり、売却のためには貴女様の印鑑証明書が必要であります。誠にお手数とは存じますが、貴女様の印鑑証明書を当職宛お送り下さいますようお願い申し上げます」


それから2週間くらい経ったころでした。

太田敦子代理人と称する島田弁護士(仮名です)から手紙が届きました。

その内容は概略、次のようなものでした。

「太田敦子は山田某に呼びつけられて山田宅に赴きました。事前に何の事情も聞かされず。山田某の家に入ると、数名の人物(おそらく他の相続人たちでしょう)の間に座らされ、突然、出された書類に署名・捺印するよう強要されました。突然のことに戸惑った太田は、最初はことわりましたが、署名・捺印するまでは帰さない、と脅されたため、夫と相談の上、やむをえず署名・捺印して、逃げるように山田某宅から出ることができました。このように、太田は事情も説明されず、強引に署名・捺印をさせられたのです。したがって、太田としては印鑑証明書を交付する意思はありません」


やはりこういう事情があったのか~と、今までの相続争いに思いをはせながら考えました。

そして、一度山田さんを説得しようと決心しました。


数日後、事務所にやってきた山田さんに対して、私は次のように切り出しました。

「山田さん。太田敦子さんの代理人の島田弁護士から手紙が来ましてね、あなたたちが、相当強引に太田さんに署名・捺印させたと書いてあるのです」

島田弁護士からの手紙を見た山田さんは、顔を真っ赤にして怒り出しました。

「し、失礼な!いやしくも敦子は私の(亡くなった)妹の娘ですよ。赤ん坊の時はおしめも替えてやりました。こんな脅すようなことをするはずがありません!」

「まあまあ落ち着いて下さい。物事のとらえ方は人によって異なるものです。法律上は、敦子さんにもお金を受け取る権利はあるのです。数千万円も入るのなら、敦子さんの取り分を分けてあげてはいかがですか?」

「と、とんでもない!この土地は、私が長年手入れをしてきたのです。ですから、他の連中も判子を押してくれたのです。小さい時しかここにいなかった敦子に、お金を分けることなんてできません!」


「他の方々には、いくらかお分けになるのでしょう?」

「それは・・・そんなことは関係ありません!身内のことですから!」

「法定相続分全額とまではいかなくとも、せめて敦子さんが納得するくらいのお金を出すことはできませんか?金額については、私が島田弁護士と交渉しますから」

「絶対に出せません!ずっと大阪に行ったきり、私に一度も連絡もしてこなかった敦子には!」

「どうしても出せませんか~。やむをえないですねえ。それでは訴訟を起こすしかありませんが、よろしいですか?」

「ええ、かまいませんとも。だから、先生に依頼したのですから!」


ということで、私は、太田敦子さんを被告として、不動産の移転登記手続をせよ、との訴訟を提起しました。


相手は島田弁護士。

何度かの口頭弁論を経て、山田さんと敦子さんの本人尋問が開かれることになりました。


島田弁護士は、山田さんに、敦子さんが家に来たときの状況、帰れなくしたのではないかということ、などなどを反対尋問で尋ねましたが、山田さんは、

「そのようなことは一切しておりません」

の一点張りで通しました。


敦子さんの主尋問では、敦子さんは島田弁護士の質問に対して、

「何の理由も知らされずに山田さんから呼び出された」

「数人に囲まれて恐かった」

「名前を書いて捺印するまで帰さないと言われた」

「その日のうちに大阪に帰りたかったので、やむをえず署名・捺印した」

というような証言をしました。


さて、反対尋問を、と思って私が立ち上がろうとすると、裁判官が、

「今から和解の勧告をします。まず、原告代理人、和解室に来て下さい」

と、突然、和解勧告を行いました。

もとより、私は本件では和解が望ましいと思っていましたし、物別れに終わっても反対尋問を行う時間が十分残っていましたので異議は唱えず、島田弁護士も「ええ、まとまる可能性があるようなら」ということで了承しました。


和解室には、山田さん本人を控え室に残して、私だけが先に入るよう指示されました。

裁判官は開口一番、

「この訴訟は原告、つまり先生側の負けですねえ。本人を説得していくらか和解金を出してもらえませんか?」

と言ったので、私は、

「まだ反対尋問が終わっておりません。反対尋問で、被告本人(敦子さん)が、土地の売買であることを不確実ではあれ認識していたこと、署名・捺印をした時に売買がなされても仕方がないと思っていたこと、などを訊きだしてみせます」

と、裁判官の心証に異を唱えました。

「それでは~そうですね、高裁で争って下さい。私の心証は変わりませんから」

と、裁判官は心証を変えるつもりがないことを私に伝えました。


一般に、裁判官の中には、訴訟の経過を見ながら心証を形成していく人もいれば、訴状と答弁書を見ただけで心証を形成してしまう人もいるそうです(伝聞ですので真偽の程はわかりません)。

また、和解手続で、心証を明らかにして説得を試みる裁判官もいれば、あくまで心証を内に秘めたまま、和解手続を進める人もいます。

本件の裁判官は、一度心証を固めたら、まず変えることがないというのが、弁護士間でもっぱらの評判でした。


控え室で待っていた山田さんに、裁判官の心証は当方に不利であること、いくらかの和解金を払う意思があるのなら、ここで決着をつけることができるということを説明しました。

山田さんは、頭を抱え込んで、泣くような叫び声を上げました。

「なんで、なんで、私がお金を出さなきゃならんのだ!何十年もあの土地を手入れしてきたのは私なのに!そ、そんなバカなことがあるものか・・・」

次第に弱々しい涙声に変わった山田さんに対して、

「敗訴して控訴していたら、また日数がかかりますよ。ねえ山田さん。負けるが勝ちとも言うじゃないですか。早く、数千万円を手に入れた方がいいのではないですか?」

と、私が説得しました。

「いくら、いくら出せばいいのですか・・・?」

山田さんが、肩を落として尋ねてきましたので、

「できるだけ安くなるよう交渉します」

と言って、私は、金額次第では和解に応じる旨裁判官に伝えました。


裁判官が島田弁護士と敦子さんを和解室に呼んで話をするということで、和解手続が進んでいきました。

その結果、何と200万円という思ったよりもずっと少ない金額で和解ができました。


金額の問題じゃなく、敦子さんの意地だったんだろうな~。

私はしみじみ思いました。


一件落着して、和解調書が届いたと山田さんに電話をすると、

「先生、私は昨晩不思議な夢を見ましてねえ。あの先生からいただいた弁護委任契約書が、白い鳥になって飛んで行ってしまったのですよ」

と、山田さんは訳のわからない話を始めました。

「弁護委任契約書の原本なら私の事務所にありますよ。ご心配なく」

と言っても、かまわず山田さんは話し続けました。

「不思議な夢でしてねえ~、神様がくれた予兆だと私は思っているのですよ。これは、先生が報酬金を安くしてくれるということだと信じているのです」

あ~、そういうこと~。

訳のわからないことを言い出したと思ったら単なる値切りか、と判断した私は、

「それで、おいくらにすればいいのですか?」

と、単刀直入に尋ねました。

「最初にお願いした一本。つまり合計100万にして欲しいのです」

と、にわかに声を大きくして山田さんが頼んできました。

「わかりました。では、報酬金は50万円で結構です。郵便代などを計算した請求書をお送りしますので、お支払いいただきましたら和解調書を取りにいらして下さい」

また泣き叫ばれても困るし、和解ですんだことだし~。

自分自身に言い聞かせて、私は、渋々山田さんの要請に応じました。


それから半年くらい経ってからのことです。

売った土地に道路ができたので見に来て欲しい、という連絡が山田さんからありました。

そういえば・・・今回は現地を見ていないよなあ~ということで、山田さんに連れられて真新しい道路を見学することになりました。


「いや~、先生のおかげで道路も無事できましたし、2億円ものお金ももらえました」

山田さんが何気なく発した言葉に、

「え、数千万円じゃなかったのですか?2億円って・・・最初からわかっていたのですか?」

と驚いて私が尋ねると、

「はて・・・数千万円なんていいましたっけ。私も年ですのでよく憶えていません。ともかく、新しい道路ができて便利になりましたねえ。土地もみなさんのお役に立ててよろこんでいるでしょう!」

と、満面の笑顔で山田さんは答えました。


やられた!最初から弁護士費用を値切るつもりで金額を少なく言ったんだな。

知らなかったとはいえ、敦子さんにまで迷惑をかけてしまった。

私は、してやられた悔しさと、敦子さんへの申し訳なさで心が一杯になり、もはや怒る気にもなれませんでした。


強欲じじいの策略に、見事にしてやられてしまいました。

それにしても、80歳くらいのご高齢。

亡くなるまでに2億円も使えるのでしょうか?