弁護士が、事件の依頼を受ける”前に”必ずチェックしておくべきことがあります。


それは、時効の問題です。


私自身、相談者などから事件の依頼をされたとき、必ず「時効にひっかかっていないかどうか」をチェックしてからでないと、決して安易に引き受けないようにしていました。


特にやっかいなのは、民法上の”短期消滅時効”というものです。

短い期間のものですと、1年で時効消滅してしまうものがあります(飲食店での飲食代金など)。


法律事務所にやってくる相談者をがっかりさせてしまうことが一番多いのが、(私の経験では)2年の消滅時効です。

売掛金、給料、習い事の月謝、大工さんの報酬など、けっこうな金額になるものまでが、時効期間がたったの2年なのです。


よく、商売人や会社が、お客さんや取引先に商品を納入したのに代金を支払ってくれない、裁判にかけてでも回収して欲しいという相談を受けます。

こういう代金は売り掛け債権ですので、納品の時から2年で時効にかかってしまうのです。


ですから、売掛金を回収して欲しいという依頼をされても、納品してから2年以上経っていると、

「これは2年の時効にひっかかりますねえ。相手が時効を主張してきたら、裁判では負けてしまいますよ」

と、答えざるを得ません。


このような説明をした時の相談者は、見ていて本当に気の毒です。

「何度も催促したり、請求書を送ったりしたのに、時効で終わりですか・・・。これじゃあ、ふてぶてしい人間が得をしてしまうじゃないですか!」

と、怒り出す人もいます。


中には、

「書面で請求書を送り続けていると時効にならないと、教えてもらったのですが」

と言って納得しない方もいます。

しかし、書面による請求は民法上の「催告」に過ぎず、6ヶ月間だけ時効の成立を防ぐことができるに過ぎません。

しかも、1回だけしか効果がありませんので、何度も何度も請求書を送っても、最後の請求書が届いた日から6ヶ月間しか時効の成立を延ばすことができるだけなのです。

ですから、ぎりぎりのタイミングで請求書が到達し、相手がそれを認めたとしても、2年6ヶ月以内に裁判所を通した正式の手続を執らなければ、時効は成立してしまいます。


だからといって、

「黙って諦めて下さい」

というようなことは、私を含め弁護士たる者、決して言ってはなりません。


たとえ時効が成立していても、知らない顔して回収に行って払ってもらえばめっけものなのです。

相手が、時効を主張(法律的には「時効の援用」といいます)しない限り、時効は成立しませんから、それまでに回収してしまえば回収勝ちになります。


また、代金の一部支払いを受けたり、相手が承諾書(「○○万円の未払い代金があることを認め、×月×日までには支払います」というようなもので十分です)を書いてくれれば、もはや相手は成立した時効を理由に、支払いを拒むことはできないのです。


このように、仮に時効が成立していたとしても、相手が知らなければ、覆す手段はたくさんありますので、あきらめずに状況に応じてトライしてみることを、いつもアドバイスしています。

短期消滅時効などというものは、案外知らない人が多いものです。


私が依頼を受けた事件で、次のようなものがありました。


なつかれてしまったのか、何かとよく相談に来る松田さん(仮名です)が、ある日、手形を持って事務所に訪れました。

約束手形で、振出人は山本さん(仮名です)となっており、鈴木さん(仮名です)が裏書きをしていました。


事情を訊くと、松田さんが山本さんに500万円を貸すにあたって、鈴木さんが、山本さんの保証をするということで手形の裏書きをした、とのことでした。

よくよく見ると、その約束手形は、何と4年前の手形でした。


「先生、個人同士の貸し金の時効は10年ですよね。手形振出人の山本が蒸発してしまったので、今まで、鈴木に散々請求したのですが埒があきません。ここは裁判をやってでも回収してもらいたいのです」


私は、う~ん・・・と唸ってしまいました。

確かに、個人同士の金銭の貸し借りの時効は、松田さんの言うように10年です。

鈴木さんも、通常の保証人であれば、10年経たないと、自身の保証債務の消滅時効を主張して支払いを拒絶することはできません。


しかし、借用証の代わりに、山本さんに手形を発行してもらい、それに鈴木さんに裏書きをしてもらったという本件では事情が異なってきます。

手形債務は3年で時効が成立するので、それにひっかかってしまう恐れがあるのです(手形ではもっと短いものもありますが、ここでは省略します)。

手形は強力な回収手段ではありますが、その分迅速性が求められることから、時効期間が短くなっているのです。


昭和52年の最高裁判例でも、鈴木さんの裏書きは「隠れた手形保証」と呼ばれ、当事者に特段の事情が認められない限り、手形債務について”のみ”鈴木さんは保証したという判例があります(特段の事情を認めた最高裁判例もありますが、本件で特段の事情があったと認定するのは困難でした)。

手形債務”のみ”の保証と認定されれば、手形債務の時効期間である3年の経過をもって、裏書きをした鈴木さんにも時効が成立してしまいます。


普通の借用証を作成して、鈴木さんに保証人として署名・捺印してもらっていれば、山本さんはもとより鈴木さんに対しても、松田さんは10年の時効を主張できたのですが・・・。

手形を過信してしまって、鈴木さんの意思をしっかり確認することなく手形裏書きで満足してしまった松田さんは、大きな落とし穴に落ちてしまったのです。


「ダメもとでもいいから、先生、やって下さいよ!鈴木には逃げられっぱなしで我慢ならないのです。鈴木は、私に待ってくれと頭を下げるどころか、居留守を使ったりして会おうともしないのです。黙って引き下がることなんて悔しくてできませんよ」

ほとんど”泣き顔”になった松田さんを見て、私はできるだけ着手金を少額に止めて、

「いいですか。相手が弁護士に相談したら、まずアウトですよ」

と念押しして、依頼を受けることにしました。


民事の最高裁判例というのは、弁護士にとっても裁判官にとっても、六法に書かれた条文と同じような効力があるのです。

最高裁判例に反するような判決を下す裁判官は、ほとんどいません。

まさに「泣く子と最高裁判例には勝てない」という状況で、私は本件を受任しました。


私は、鈴木さんに対して「500万円と年6分の遅延損害金を支払ってもらいたい」という趣旨の内容証明郵便を出しました。

それから2週間くらい経った頃でしょうか、鈴木さんの委任を受けた某弁護士から電話がありました。

その内容は、な、なんと次のようなものでした。


「当方本人の鈴木が署名・捺印した手形をお持ちなのでしょう。鈴木も、署名・捺印をしたことは認めています。そこでお願いがあるのですが、500万円は支払いますから、年6分の遅延損害金を免除していただくということで和解はできないでしょうか?年月が経っているので遅延損害金もバカになりませんが、500万円は一括で支払いますから」

一も二もなく、私が承諾したことは言うまでもありません。


おそらく、某弁護士さんは、先の最高裁判例をご存じなかったのでしょう。


弁護士でさえ、少しややこしい案件になると時効のことを忘れがちなのです。

ましてや、素人が細かな時効のことについてよく知っているとは、私には到底思えません。

ですから、運悪く、ご自身の持っている債権が時効にかかっていたとしても、すぐに諦める必要は全くないのです。



後日談ですが、着手金を少なめにした松田さんから、私は成功報酬はしっかりいただこうと楽しみにしていました。

ところが、得意の”泣き顔”で「家族が病気で・・・」などと言ってすがられたため、成功報酬までまんまと値切られてしまいました。


本当に、泣く子には勝てません(苦笑)。