「先生!ちょっとこれを見て下さいよ」


60歳前後と覚しき男性相談者(奥田さんとします)が、1枚の葉書を私の目の前に出して、泣きそうな声を出しました。

その葉書を見ると、(「私たちは一緒になりました・・・云々」と書かれている)よくある結婚の挨拶状。年配の男女の写真が印刷されていました。


「この写真がどうしたのですか?」

「この写真に写っている女・・・私の女房(良子さんとします)なんですよ~」

「ええ!奥さんが?・・・どういうことですか?」

「私にも何が何だかわかりません。ただ、半年くらい前、良子が突然いなくなったのです」

「いなくなったきっかけは?」

「ちょっとした夫婦喧嘩といいますか・・・口論になって、私が『出ていけ!』と怒鳴ったら、良子が『出ていきます』と言って家を出ていったのです」

「それから良子さんは帰ってこなかったのですか?」

「ええ・・・そのうち帰ってくるだろうと思っていたら、帰らないまま半年くらい経ってしまいました」

「警察に捜索願いは出さなかったのですか?」

「それが、仕事が入っていて、海外に5ヶ月くらい主張に行く予定が入っていたのです。出発が喧嘩の翌日でしたので・・・」

「帰国したら、良子さんは何事もなかったように帰っているだろうと?」

「ええ。それに、私の行き先が電話がほどんどないような場所だったのと、仕事が忙しかったのとが重なって、家に電話を入れることもできませんでした。ようやく家に帰ったときは、家の中がほこりだらけでびっくりしました。すぐに、良子の実家に電話を入れたのですが、良子の母親は『良子は今、家にいません』を繰り返すばかりで、まったく埒があきませんでした」


「今まで、喧嘩して実家に帰るなど、良子さんが無断で家を出ていったことはありますか?」


奥田さんは、思い出すように斜め上を見つめながら、ボツボツと話し始めました。

「自分で言うのも何なのですが・・・良子は本当によくできた女房です。私にはもったいないくらい、あれこれとよく気の回る女でした。結婚してから数十年、実家に帰るときは、必ず事前に私に言ってから行きましたし、1人で外出するのは、買い物や医者に行くときくらいでした。それが、2年くらい前から、週に1、2回の頻度で外出するようになりました。昔の同級生との会合だとか、習い事だとか、いろいろ理由をつけて出ていくようになったのです。夜に外出することも多くなったので、私がそれを私が注意したら、さっきの夫婦喧嘩になってしまったのです」


「ご夫婦の間で、諍いが絶えなかったということは?」

「とんでもない!夫婦喧嘩でさえ、本格的なものといえるのは、先にお話ししたものくらいです。外出が増えてからも、良子はいい女房として細やかに私の面倒を見てくれました。夜に外出する日には、きちんと私の夕飯を作ってくれていましたし、帰宅する時間もきっちり守っていました」

「じゃあ、夫婦関係は円満だった?」

「少なくとも私から見れば、円満そのものでした」

「もちろん、離婚の話なんて出ていませんよね?」

「離婚なんてとんでもない!一度たりとも、離婚なんて話はありませんでした」


何とも不思議な話でした。

もしかしたら、良子さんは、奥田さんと結婚したまま他の男性と事実婚でもしてしまったのだろうか・・・と私は思いました。

それにしても、あまりにも衝動的すぎるのでは・・・?


「この葉書はどこから手に入れたのですか?」

「良子の友達で私も知ってる人に先日バッタリ会いました。彼女に『離婚されたのですね~』といきなり言われてビックリして・・・離婚などしていないと言い張ったら、後日この葉書を持ってきてくれたのです」

「お子さんはいらっしゃらないのですか?」

「残念ながら、子宝には恵まれませんでした」


「率直に伺います。奥田さんとしてはどうされたいのですか?」


「私は良子と離婚してません。この葉書の男、葉山一郎(仮名です)に対して、慰謝料請求したいと思ってます。離婚してない以上、この葉山という男は妻と不倫したということになりますよねぇ!」

「私には、どうにも腑に落ちません。葉山さんは、奥田さんと良子さんが離婚したと思っているのではないでしょうか?それに、婚姻関係、つまり結婚生活が破綻してしまってからの不倫の場合は、慰謝料請求は認められないのです」

「破綻もなにも、口喧嘩して出てっただけじゃないですか!私は、この葉書を見てからノイローゼになってしまって、夜も眠れないのです。とにかく、やるだけやって下さい。慰謝料を実際に取れなくても構いませんから!私の意地を見せてやりたいのです」

「やむをえませんね~。(弁護士費用の)着手金をドブに捨てるくらいの覚悟を持っていただけるのでしたら、私が葉山氏に内容証明を送りますが・・・」

「是非、そうして下さい。この男をギャフンと言わせたいのです」

「繰り返しますが、ご期待に添えることができるかどうかはわかりませんよ」

「それでも結構です」


このような経緯で、着手金30万円を支払ってもらって、私は奥田さんの依頼を受けることになりました。


奥田さんから預かった葉書には、「県職員を退職して2年、伴侶を迎え新たな人生を始めることになりました」という趣旨の挨拶が書かれていました。

私は、葉書に書かれた住所に次のような内容証明郵便を送りました。


「当職は、奥田某の代理人として貴殿に対して次のとおり請求いたします。貴殿は、奥田某の妻である良子と事実婚らしき関係を持ち、現在に至っております。ご高承のとおり、かかる行為は奥田某の権利を侵害するもので、貴殿には奥田某に対して慰謝料を支払う義務があります。従いまして、本書到達後2週間以内に500万円の慰謝料をお支払いいただきますようお願い申し上げます。万一、お支払いなき場合には、しかるべき法的措置を執らせていたたきます。

なお、本件につきましては、当職が奥田某から委任を受けておりますので、ご連絡等はすべて当職宛お願い申し上げます」


それと同時に、弁護士会を通して、市役所に対し、奥田さんと良子さんの離婚届が提出されているか、もし提出されているならその写しを送ってもらうよう依頼しました。


内容証明を送付して数日後、葉山氏から面会を求める電話がありました。


決められた面会日時ぴったりに事務所にやってきた葉山氏は、白髪で細身の紳士というイメージでした。

良子さんとのことを尋ねると、

「私は、良子が離婚してしばらくしてから付き合いだしたのです。婚姻届も出していますし、奥田さんに対してやましいことは一切しておりません」

と、丁寧ながらも自信に溢れた口調で答えました。

私は、あれこれ話ながら、葉山さんの目や動作を観察していましたが、葉山さんが嘘を言っているとは到底思えませんでした。

「お話は承りました」

と言って面会を終え、私は弁護士会からの回答を待つことにしました。


数週間後、弁護士会からコピーが添えられた回答が送られてきました。

離婚届のコピーでした。


内容を見た私は愕然としました。

な、何と、離婚届の提出日は、夫婦喧嘩をして良子さんが出ていったと奥田さんが言っていた日の約3年前になっているのです。

良子さんが、奥田さんの名前を書いて三文判を押して提出したのでしょう。

(このような行為は、有印私文書偽造、同行使、電磁的公正証書原本不実記載という立派な犯罪になります・・・念のため)


つまり、良子さんは、家を出て行く3年前に離婚届を提出していたのです。

その間、良子さんは、奥田さんにとって『本当に良くできた女房』として、一緒に暮らしていたのです。

離婚届(偽造したもの)を提出しておきながら、平然と『良くできた女房』を演じてきた良子さん。

男には想像もできない驚異的な精神力の持ち主だったのでしょうか?

ある意味、最強の妻であったと、今でも私は思っています。


そうそう、奥田さんですが、

(警察が受理するかどうかわからないが)良子さんを刑事告訴できること、離婚無効、婚姻取消の訴えを起こすことができることを説明しつつも、良子さんとの関係が元に戻る見込みは少ないという私の感想を述付け加えて、事実を伝えると、

「なんてこった~。これ以上やるかどうかは今はとても考えられません」

と、肩を落として帰って行かれました。

あまりにも寂しそうな後ろ姿を見せながら・・・。