「被害者なき犯罪」という用語があります。
例えば、贈収賄や覚せい剤の自己使用のように、直接の被害者というものを想定しがたいような犯罪を、講学上「被害者なき犯罪」と呼んでいます。
贈収賄などの場合、徹底的に突き詰めて考えれば、納税者である国民や住民が被害者となるとも考えられるのですが・・・直接的な被害者がいない以上、刑事学上「被害者なき犯罪」に分類されています。
かつて、銃砲刀剣類取締法違反(略して、銃刀法違反)と、覚せい剤取締法違反で起訴された事件を弁護したことがあります。
次のような事案でした。
被告人は20代の女性で前科はありません。
被告人には付き合っている男性がいて、その男性と一緒に覚せい剤を使用していました。
被告人は、その男性と別れて覚せい剤とも縁を切ろうと決意しました。
電話で会いたい旨告げると、男性は人目につかない河原に夜中の11時に来るよう被告人に要求しました。
若い女性である被告人は、男と会う直前になって怖くなり、家にあった狩猟用のライフルを持って車で河原に向かいました。
相手の男も自分の車でやってきて、車から降りるなり、被告人を脅すようなことを言ったため、威嚇しようとして被告人は持参したライフル銃を空に向かって発砲しました。
銃声を聞いた近所の人たちが警察に通報したことから、2人は逮捕されました。
(プライバシー保護のため、若干事実関係は変えてあります)
私は、この女性の弁護を、親族から依頼されました。
相対する検察官は、まだ任官してさほど年数の経っていない若い風貌の検察官で、高圧的な態度がやたらと鼻につく人物でした。
公訴事実は覚せい剤所持とライフル銃の所持及び発砲、覚せい剤取締法違反と銃刀法違反の2つの罪で起訴されました。
私は、被告人と接見して、事実関係に間違いはないということを確認していましたので、起訴事実については争わず、情状酌量を求めるという方針で弁護に臨みました。
被告人は、とても明るい女の子で、警察の留置場でも笑いをとることが多いらしく(なんだか、とてものどかな留置場ですねぇ・・・本当でしょうか?)、拘置係担当の警察官の人たちからも好感を持たれていました。
こんな女の子が、覚せい剤はともかく、ライフル銃をぶっ放したなんて、私には想像ができませんでした。
裁判の最中で私が、
「本件はいずれも被害者なき犯罪といえるものでして・・・」
と発言したら、裁判官が
「被害者はいますよ!」
と、諭すように私の発言を制止しました。
え?
おかしいんじゃないか?
確かに、相手の男性に対して強迫や強要目的、もしくは殺害や傷害目的で発砲したのであれば、男性は被害者だろう。
しかし、それであれば、強迫や傷害未遂などの罪で検察官は起訴すべきだ。
銃刀法違反で起訴したということは、単に「所持」と「発砲」のみの行為の処罰を検察官は求めただけだ。
起訴されていない事実を、裁判所が勝手に認定して判決を下すのは、このようなケースでは、刑事訴訟法上許されないはずだ。
思いっきり割り切れない思いで一杯になりましたが、担当裁判官はプライドが高くて融通の効かない人物だともっぱら評判。
情状酌量を求める立場としては、ここで裁判官の心証を悪くしては不利だと考え、敢えて異は唱えませんでした。
ところが、裁判官の一言に、元気をもらってしまった若くて”上から目線”の検察官。
翌日が求刑・弁論で結審という日に、相手の男性の検面調書(検察官が取り調べをした際に作成した調書)を証拠として申請すると言って、私の事務所にファックスを送ってきたのです。
調書の内容は、一言で表すと、
「発砲されたときは本当に怖かった。殺されるのではないかと思った」
という内容をくどくどと書いたものでした。
私は早速、検事に電話をし、
「被害者だというのであれば、被害者の証言は本件審理で不可欠なものです。検察側が申請しないなら私の方で申請します。どのような状況で作成されたかわからない調書だけで、反対尋問の機会も与えられないのは、あまりにもおかしいのではないですか!」
と、断固抗議しました。
結果的に、当方の情状に大きな影響を与える書面(被告人を今後しっかり監督していくという親族・知人たちの誓約書)の証拠提出に同意させることと引き替えに、検察官の調書の証拠提出にも同意しました。
裁判官とてバカじゃないから、判決を言い渡すときまでには、本件が「被害者なき犯罪」だということを理解するだろうと信じていましたし、万一の場合は、即、控訴する覚悟を固めたのです。
検察官の求刑は、な、なんと「懲役5年」。
あまりの求刑の重さに唖然としました。
判決期日が来るまでに被告人に接見に行ったら、拘置係担当の警察官までもが、
「求刑5年だって聞いたけど、重すぎるんじゃないですか」
と、同情してくれる始末・・・。
判決の日が来ました。
「被告人を懲役○年に処する」の後に「本判決の日から・・・」が続くことを願いながら、私は裁判官の唇を凝視していました。
願いが叶い、「本判決の日から4年間刑の執行を猶予する」という執行猶予付き判決をもらうことができました。
理由中で、検察官との取引材料に使った誓約書のことが触れらた時、検察官は実にうらめしそうな険しい表情をしていました。
全て終わって、法廷の外の廊下で検察官に挨拶したら、
「あいつは、きっとまたやりますよ!」
と、挨拶の代わりに捨て台詞を吐いて、さっさと行ってしまいました。