弁護士に成り立てのころのことです。

 拘置所から、ある被告人が接見に来て欲しいと言っている、という連絡を受けました。

 「はて?名前(鈴木清とでもしておきます)は聞いたこともないし、わざわざご指名とはどういうことか・・・」

 と思いながらも、とりあえず接見に行きました。


 被疑者は、スキンヘッドで、ぎょろぎょろとした目をし、口がとんがった、いかにもアブナイ感じを漂わせていました。片方の小指もありませんでした。

 「わざわざ私を指名したのはどうしてですか?」

 と訊くと、

 「わしゃ、先生と同年代なんじゃ。先生は山の上中学(仮名です)やろ。わしは海辺中学(仮名)なんや。山の上中学では、同期生に三宮(仮名)というワルがおったじゃろ。わしも、あいつと同じようなことやっててなあ・・・」

 「ああ、海辺中学なら、軟式テニス部に山村とか後藤とかいただろ?」

 「いたいた!」

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 というわけで何やら話が弾んでしまいました。


 どうやら、彼は、中学校は違うものの私と同年代で、その”ご縁”とやらで私を指名したようでした。

 それがご縁となって(?)、私は何度か、(国選も含め)清君の弁護を引き受けるようになりました。

 彼の得意技(?)は恐喝で、刑務所から出てきてしばらく経つとやってしまうという、ほとんど病気のような性格でした。


 一度だけ彼が罪状を否認したことがありました。

 それまで一度もなかったことです。

 私は、「こりゃ、本当に冤罪かもしれない!」と思い、現場に足を運んだり、関係者に会ったりと、何とか無罪に持ち込む方法を懸命に探しました。

 彼が拘置所から家に宛てて書いた手紙も全部持ってきてもらい、目を通したのですが、何とその手紙の内容が傑作そのもの。


 「父さん、母さん、元気でやっていますか。

 清も元気でがんばっている今日このごろです。」

 (何をがんばっているのだか・・・)


 「父さん、母さん、清、なんて怖いことしてしまったんでしょう。もうやりませんから、今度こそ信じて下さいね」

 (えー、やってるのか!)


 手紙の内容は、気の弱い子どもが両親に叱られないように書いたようなもので、彼の強面の風体からは想像もつかないものでした。


 手紙を読み終えた私は、早速拘置所に出向き、清君と接見しました。

 「あのさあ・・・清ぃ。本当はやってたのじゃないの?」

 「へへ。つい出来心で。先生、今度はどのくらい(刑務所に)行かなきゃならんのじゃ?」

 「死刑だ」

 「またまたぁ~冗談きついぜ」

 「本当だって。ついこの間、常習累犯恐喝罪というのが成立してね。法定刑が死刑もしくは無期懲役なんだよ。君の場合は、今までの回数やら反省の色がないことから死刑の可能性が高いな」

 「え!そ、そんな・・・。まだ死にとうない」

 本気にして顔色が真っ青になったものですから、私もさすがに驚き、

 「ごめん、ごめん、嘘だよ。まあ、また2年くらいかなあ~」


 そう言うと、彼はへなへなと力が抜けてしまったようで、力なく拗ねだしました。

 彼は本当はとても臆病な性格で、強面の風体で損をしてきたようです。

 それにしても、今でも懲りずに刑務所に入ったり出たりしているそうです。

 憎めない男なのですが・・・ねえ。