全く自信のない用語ですが、頻繁に刑務所に入っている人のことを「刑務所太郎」と呼ぶのを聞いたことがあります。


しかし、刑務所というのは健康な受刑者にとっては「とてもとても嫌なところ」らしく(見学しかしたことがありませんので)、実刑確実の暴力団幹部の被告人でも、

「先生、今度はどのくらいの期間ですか?少しでも短くなりませんか?」

と入所を嫌がるくらいです。


ところが、とある老人の国選弁護をしたとき、その老人は刑務所しか行き場がなく”わざと”犯罪を犯しているように思えたのです。


事情を聴くと「日雇い労働をしていたけれど高齢になったことから雇ってもらえない」「親族との交流は全くないのでいるかいないのかもわからない」「他に行き場がない」という状態でした。

体格も小さな老被告人。

生活保護でやっていける自信もないとのこと。


こういうとき弁護人としては辛いです。

弁護人の使命は、証拠も自白も明白な被告人の量刑をできるだけ軽くすることなのですが、この老被告人を短期間で出所させてもきっと犯罪を犯すでしょう。


困るのは犯罪被害者です。

刑務所に入りたい被告人の犠牲になったのではたまったものではありません。


悩みに悩んだ私は、我が国の社会福祉の貧困をとくとくと弁論し「以上を後斟酌の上、被告人の処遇を判断していただきたい」として、裁判官にサジを投げたのです。


通常の量刑弁論の最後は「被告人に寛大な判決を切に望む」などとするところを、です。


今、「単身社会」が進んでおり、お一人様老人が増えつつあります。


身よりもお金も家もない老人たちが「刑務所太郎」になってしまう恐れは十分あるのではないでしょうか?