あくまで私の経験ですが、人間は相手との距離が近い方が紛争になったときお互いに泥沼化するものです。


この距離は物理的距離と血縁的距離と考えて下さい。


まず、物理的距離で泥沼化する典型例は「境界確定訴訟」でした。

過去形を使っているのは、最近は長期化しないよう筆界を公の立場で図ってくれるようになったのです。

双方に代理人弁護士がついていれば、不満があっても「判決はよほど新証拠でも出てこない限り図られた筆界で決まりますよ」と説得しますが、何が何でも納得しない人が案外多いのです。


隣同士で揉めて憎み合うと、これはもう修羅場になりますね-。

隣の物音ひとつがとてもとても気になって仕方がなくなってしまうのです。


余談ですが、かつて私が住んでいたマンションの隣室に元気すぎるお子さんがいて、その叫び声や足音は私の受忍限度を超えてしまいました。

とはいっても穏健派の私は隣室のインターホンを鳴らして、

「少しお静かに願えませんか?」

と頼みました。

隣室の奥さんは「はい、わかりました」と言っただけでした。


その時、漠然とした違和感を感じたのですが「やれやれこれで静かになる」と、安堵の気持ちの方が強かったのを憶えています。


しかし、その後も全く状況は変わらず、おまけに狭い道路に来訪者の車を頻繁に駐めては私の車が駐車場に入れないようにしていました。


何度も「もう少しお静かに願います」、「車を動かして下さい」を繰り返していると、隣室の夫が私の部屋のインターホンを鳴らして

「ばかやろう!細かいことでがたがた言うな!ちょっと出てこい」

と威迫してきました。

包丁ででも刺されてはかないませんので「迷惑を被っているのは私の方です!」ときつめに言ってインターホンを切ってしまいました。

管理会社に連絡すると、不動産屋さんの担当者と管理会社の担当者が来訪して私に「別のマンションを管理していますので引っ越されませんか?引っ越し費用はお出しできませんが・・・」という始末。


私もバカじゃありませんのでそれを断り

「これ以上耐えられない騒音や違法駐車が続くのであれば管理義務違反として損害賠償請求しますよ」

と念押しし、両名もそれを認めました。


ところが全く改善がなかったので、慰謝料請求とそれに見合う賃料を相殺氏、請求額に至るまで相殺を続けるという内容証明を出して、現実に賃料を支払いませんでした。

これは、事なかれ主義の管理会社に何を言っても「暖簾に腕押し」だと判断し、相手がアクションを起こさなければならない状況に追い込んだのです(「提訴リスクの転換」私の造語です)。

したところ、面白いように騒音は止まったものの(やればできるじゃないか)、隣室の住人からは一言も謝罪の言葉がありませんでした。


どうやら、隣室の住人たちにとっては「私のクレーム」が憎悪を増大化させたのでしょう(被害者の私も憎悪の増加スパイラルに入っていました)。

世の中には、何が何でも謝罪しない人たちがいるのを知ったのはこのときでした。



私ごとを長々と書いてしまいました。



次に、血縁的距離ですが、これは相続争いの時にひしひしと感じます。


最近は長寿になりましたので、亡くなった人(被相続人)の相続人たちはかなり年齢のいった人たちが多いのです。

弁護士になって2年目くらいだったと思いますが、調停の控え室に3人のおばあさんが座っており、沈黙が気まずくなった私が「どのようなご案件ですか?」と尋ねたところ「相続です。かれこれ10年になります」という答えが返ってきました。


また、私が受任した知人のお父さんは、調停部屋で頻繁に怒鳴っていました。

あまりに怒鳴りすぎるので、進展があるまでは私だけが出頭するとしました。

すると、知人がやってきて「父を同行させて下さい」と頼むのではありませんか。

察するに、そのお父さんは調停で怒鳴ることで精神の安定を保っていたのかもしれません。

しかし、毎回、裁判所の心証が悪くなっていくのを防ぐため、同行はしてもらいつつ、できるだけ控え室にいてもらうよう工夫したものです。


このように、兄弟姉妹の争いは本当にすさまじいものがあります。


物理的と血縁的の双方に共通するのは、縁を切ることができないということなのです(借家は出て行けますが、訴訟沙汰になるのは住んでいる所有地です)。


それに対して、距離はすごく近くとも解決すれば完全な他人になる離婚事件は、案外早急に片がつくものです。