私が大学生のころ、きちんとスーツを着てネクタイを締めとても清潔感のある白人男性が、お茶の水駅などで

「あなたは神を信じますか?」

と通り行く人々に質問していました。


最近は見かけませんが、彼らは熱心なモルモン教徒だと友人に教えてもらいました。モルモン教はけっしてあやしい宗教ではなく、キリスト教の一派で戒律がとても厳しいことで有名な宗派です。

以前よくテレビに出演していたケント・ギルバートやケント・デリカットなどもモルモン教徒です。

大学生時代の私は大変な現実主義者で、宗教を信じるなんて最も縁遠い人間でありました。


しかし、突然高熱でぶっ倒れ、その後も微熱が続き少し体を動かすことさえしんどくなるという「慢性疲労症候群」のような難病に犯されたとき、毎朝、聖書の英文を音読するようになりました。

特に神にすがるというつもりではなく、長年にわたって膨大な数の人々を魅了し続けてきた書物に興味があったというのがホンネでした。


そのような生活をしているうちに私は次のように考えるようになりました。


「人間の英知といってもたかだか知れている。私自身の病に病名を付けることすらできないのだから。世の中ではまだまだ科学では解明できないたくさんのものがあって、世界中で信仰されている宗教上の神のような存在がいても全く不思議ではないのだろう」


つまり、人知を超える崇高な存在が世界中の宗教で神と呼ばれていると考えました。そして、人間というものはこの「崇高な存在」を心から信じることによって多くの苦難を苦難と感じることなく乗り越え、豊かな人生を送ることもできるのだと・・・。


ずいぶん以前に読了したデール・カーネギーの「道は開ける」を再読してみると、驚いたことに偉大な人物の多くが神を信じ、人生を神に委ねているという部分を見つけました。ヘンリー・フォードが苦難の連続の時にでも「神が守って下さる」と思い、快活な日々を過ごしたという逸話があったと記憶しています。


国家破産したアルゼンチンで、経済苦の自殺者がでると新聞沙汰になるほどの大事件だったそうです。

アルゼンチンの人々は、経済苦にあっても「いずれ神が導いて下さる」と信じて毎日を過ごしていたそうです。


「宗教はアヘンだ」といったのはマルクスでしたか・・・。

しかし、心身にとって好ましいアヘンであれば素直に帰依するのも悪くないのではないでしょうか。