ある日、あなたの家に警察官がやってきて「署までご同行願います」と言われたとしましょう。


おそらくあなたは「どのような用件ですか?」と尋ねるでしょう。

それに対し警察官が「あなたのお持ちの車、車検が切れてますよね。その件で・・・」


『あ、しまった忘れてた。何度かディーラーから電話をもらったのに・・・』

と思いながら警察署に同行したところ、最近新聞で出ていた殺人事件についてしきりに尋ねられて、あなたは驚きます。


「私は全然無関係です。車検の手続きはしますので帰らせて下さい」


「そうはいきません。殺人のあった日にあなたを見かけたという人がいるのです」


『ええー!』


「私はそんな場所に行っていませんよ。明日は仕事ですから帰らせて下さい」


「残念ですが、逮捕状が先ほど出ました。しばらくご自宅には帰れません」


「そんなバカな・・・」


これは絵空事ではありません。

逮捕とそれに引き続く勾留だけで、最大22日間身柄を拘束することができます。

また、起訴されれば保釈が認められない限り延々と身柄拘束が続くのです。


弁護士を呼んで、逮捕・勾留に対する異議申立、起訴後の保釈請求をしてもらても、必ずしも自由の身に慣れるわけではありません。


「いつまで続くかわからないという不安と苦痛」は、人間の精神に大きなダメージを与えます。


大怪我をしても、医師から「半年は痛い思いをするだろう」と告げられれば、大抵の人間は痛さを我慢することができます。

それは、期限がおおよそわかっていて、次第に痛みが引いていくものだということを経験的にわかっているからです。


身柄拘束でも怪我の痛みでも、どのくらいの期間我慢すればいいのかがわかっているのといないのとでは、受ける精神的ダメージが全く異なります。


「いつ終わるとも知れない身柄拘束」に置かれた時、「自白すれば保釈も認められるだろうに」という甘い言葉に乗ってしまわないという自信があなたにあるでしょうか?


幸いにして起訴されなかったとしても、先のわからない22日間の身柄拘束はどれほど精神にダメージを与えるか・・・。


警察、検察では日常的なことですが、身柄拘束を受けた人間にとっては、悪夢のような非日常に突然叩き込まれたようなものなのです。


このような制度は根本的に見直す必要があると、私は思っています。