自分探し・・・だいぶ前によくみんな言ってましたね。
ふと、思い出して色々と考えてしまいました。
っていうか、自分を探すのは結構だけど、旅に出るって・・・・
まあ、しがらみに囚われずに、自分を見つめなおす為に、そういう場所に
行くんでしょうけど・・・
果たして、それで見つかったんでしょうか?
こういう風に言っている人を見ると・・・ああ、可哀そうに・・(笑)と
つい、思ってしまいます。
灯台下暗し、ってやつですね。
でも、それはそれで、変えなくてはいけない!っと前向きに自分を見つめ
なおそうという姿勢の表れですから、何も考えないよりはいいですね。
本当の自分って、誰なんでしょう?
そもそも、自分を見つけてどうしたいんでしょうか?
っと、偉そうーーーに、言ってしまいましたが、気持ちはわかります。
嘗て、自分もそうでしたから・・・
知りたいんですよね。
自分って、何なんだろう?
今の自分は、本当の自分じゃないんだろうか?
そんなこと考えていると、そのうち、何のために生まれてきたのか?
そして、人生にはどういう意味があるんだろうか?
などなど・・・・
答えの出ない疑問が次々と浮かんできます。
でも、分からないことは、分からないままにしておくのが一番です。
そんなこと考えるよりも、今を楽しく、未来にむかって進んでいこう!!
って、なんじゃそりゃ。。(笑)
自分の外側を探しても自分は見つかりません。
じゃあ!自分の内側だよね!っと思って探してみても・・・
たぶん、見つかりません。
答えは・・・ないしょ!(笑)
もったいぶってんじゃねーーー。ふざけんなーー。
と、言う声が聞こえてきそうなんで、僕が知っている範囲というか、僕の中
での答えを書きたいと思います。
なので、あっているかどうかは分かりませんので、ふうーーん!っと
軽い気持ちで受け止めて頂けると、僕も気が楽です。
僕は、瞑想を結構長く続けています。14年目です。
日々の瞑想を、朝晩、30分から1時間くらいやっていますが、
どちらか出来ないことはあるのですが、丸一日、瞑想しなかった日という
のは、記憶にありません。必ず、最低一回はしています。
傍から見ると凄いように感じる気も知れませんが、そんなことはありません。
毎日の歯磨きのようなものです。習慣になってしまえば、なんてことありまん。
日々の瞑想では、それほど深い意識の体験は起こりません。
起こらないというか、実際は意識は静寂を経験してるので深いんですが、
そこまで、気づいていないというのが、正直なところでしょうか。
短い時間の中では、日々の疲れやストレスを取り除くのでいっぱいです。
意識がより深い領域の体験を認識するには、やはり、少し長い間、集中的
に瞑想をする必要があります。
静寂に深いとか浅いとかはありませんが、そう、表現するのが分かりやすい
ので、深いとか浅いとかという言葉を使っています。
度々、瞑想の合宿に参加していて、短い時は4日間、長い時は6日間、
寝ないで瞑想をします。このときは、いつも20人ぐらいの方が参加している
のですが、まあ、先生も一緒にというのもありますが、グループのパワー
は、ハンパではありません。
合宿の場所は、いつも富士山の近くの山中湖付近で、ペンションを貸し
切って行います。まるで、その辺一帯が、深い海の底のような感じにな
ります。
食事の時間と、ミーティングの時間はありますけど、それ以外は、
ずぅーーーーーっと瞑想です。ひたすら、じぃーーーーーーっとしてます。
傍から見たら何が楽しいかと思うはずです。
だって、ずーーーっとですよ。ただ、じぃーーーっとです。
でも、楽しいんですよね。それが。こればっかりは、体験しないと分かりま
せん。
何が楽しくて、お金払ってそんなことをするのか?
家でも出来そうだと思いますよね。
でも、意外とそうではありません。
一人の時間を作るのって、そういうところ行って、強制的に作らないと中々
時間を作れません。
それと、場のエネルギーとか、グループのエネルギーとか、そういうことに
よっても違ってくるので、そこでやる意味があるんです。
瞑想することにより、意識は静寂に浸ります。
静寂とは、相対世界を超えた領域です。静寂には何もありませんが、
全てがあります。この宇宙、そして、神さえもそこから生まれます。
何度もこういう合宿に出れば、いつかは気づくときが来ます。
いきなり、一発で気づいたり、悟ってしまうこともあるかもしれませんが、
それは、その人が過去生で余程、修行していたんでしょう。
そういう人は、滅多にいませんが、続けていればいつかは気がつく時が
やってきます。
あなたは、自分が自分だと思っているものが、そうではないんだと、思うこ
とってありますか?
普通に生活してたら、まずそんなこと思わないかもしれません。
普段は、私という感覚が自分を支配しています。なので、そういうことには
気が付きません。
まあ、苦しみ悩むのもその自分です。
人生の苦しみや悲しみ、そして痛みというのは、その自分という感覚が
余りにも強すぎることにより起こります。
究極的に言ってしまえば、自分が居なければ、問題は全て消えます。
全ては、自分で作り出している幻想にしか過ぎません。
自分・・・というものも、幻想です。
深く静寂に浸っていると、今まで自分だと思っていたものが、実はそうで
はない!
っということが、感覚として分かってきます。
瞑想という行為は、“見る”という行為です。正しく物事を見ることが出来
るようになるとき、気づきがあります。段階により様々ですが、当然、
客観性が増します。
そして、いつも物事から離れていることが出来るようになります。
意識的ではなく、自然にです。
そうなってくると、人生に起こる、様々な問題などに振り回されることが
無くなってきます。執着がなくなり、物事を掴まなくなりますからね。
受け入れ、手放すことが出来るようになってきます。
ある、聖者さんが、このように行っています。
私とはこの肉体でもない
私とはこの感覚でもない
私とはこの感情でもない
私とはこの思考でもない
私とはこの心でもない
本当の私とは、これらの感覚の全てが、超えたところにある“何か”です。
瞑想とは、それを発見するツールです。
本当の自分とは?
それが、なんなのか発見したとき、人生が変わってくると思います。
聖者さん曰くあらゆる感覚の“自分”が消えたときが本当の人生のスタートだと。
僕も早くスタートラインに立たねば・・
でも、こればかりは焦っても仕方ありません!
気長に行くしかありませんね!