井伏鱒二の短編を読みました😊

今回は主に初期の短編が収録されている新潮文庫の『山椒魚』から。

 

 

井伏鱒二は自分の作品を後に加筆や削除するなどして書きかえることが多いようで、同じ作品でも全集と文庫とでは意味が変わってしまうことがあるみたいです。今回は初刊のバージョンだったと思います。

 

  1. 山椒魚
  2. 朽助のいる谷間
  3. 岬の風景
  4. へんろう宿
  5. 掛持ち
  6. シグレ島叙景
  7. 言葉について
  8. 寒山拾得
  9. 夜ふけと梅の花
  10. 女人来訪
  11. 屋根の上のサワン
  12. 大空の鷲

 

読んでいると、徐々に井伏鱒二の人柄の良さが伝わってきます😊

 

収録されている全作品について、ほんの少しずつ書こうと思ったけれど、、収まりませんでした💦

ということで、今回は3作品(緑マーカー)だけ書きました。再読含めます。

 

それでは、どーぞ!ニコニコ

 

 

  1. 山椒魚

井伏鱒二と言えば『山椒魚』、という感じで代表作品となっている(顔も似てるし)

 

住家としていた岩屋の中で、うかつにも二年も過ごしてしまった山椒魚。気づいた時には成長しすぎて頭が肥大化、岩屋に幽閉されてしまった。なんたることか、出入り口よりも頭がデカくなってしまったのである!

出ようと必死にもがきながら発狂する姿を嘲笑してはいけない! 次第に狂暴になり、蛙のように閉じ込められてしまうよ!

 

約3年前の記事があった。。。

 

 

  2. 朽助のいる谷間

朽助(くちすけ)はハワイ帰りの老人で、「私」を幼少期からずっとかわいがっている。ハワイ帰りと言っても、時代を考えれば労働力となる移民として行ったわけだから、当時のハワイはとても複雑な状況であった。そんな縁で、朽助には同居する日米ハーフの孫娘がいる。彼らは谷間に住んでいるが、ここにダム建設の話がもちあがるのだ。

最終的には朽助のいる谷間はダムに沈んでしまうのだが、そこに到るまでの「私」と孫娘のほんのり異性を感じるエピソード、そして長く住んだ家が水に吞まれ沈みゆく瞬間のむごさが印象的だった。

 

ダムに沈むというと、以前、群馬県の川原湯温泉へ行ったことがあるのを思い出す。

ここには現在八ッ場ダムがあり、旧川原湯温泉駅と温泉街はダムに沈んだ。私が行ったのはダムに沈む前と沈んだ後の両方。

「ダムに沈む街、川原湯温泉へようこそ」との悲哀漂う手書きの看板は今でも忘れられない。今では駅や温泉街は高台に移動し、ダムを見下ろせる景観になり、紅葉の時はとても綺麗だった。昔ながらの情緒は消えたかもしれないけれど、そうやって街はどんどん新しく生まれ変わっていくんだろう。

 

朽助のいる谷間や旧川原湯温泉のように、どのダムにもその深い底の部分には、かつて賑わった街や民家があったということだ。

 

 

  3. 岬の風景

若さ、暖かさ、郷土のなつかしさが広がる作品。詩の世界をも感じられるような。

 

いくつかの馴染みのない言葉が出てくる。今ではあまり使用しない、「耳かくし」「股眼鏡」「袖珍本」等々。

 

彼女の髪の結い方が次第に遠慮勝ちな耳かくしになりつつあることを発見した。

彼女の髪が完全な耳かくしになった頃には、すでに私は彼女に恋愛をちかわせてしまったのである。

 

控えめながら性を感じさせる表現で、女性のヘアスタイルの変化にときめきを感じる部分がいいなと思いながら読んでいたが、髪のイメージがはっきり沸かない。

調べてみれば、文字通り耳を隠すスタイルだけれど、大正時代に流行したというウェーブがかったモダンなスタイルだった。

 

世の中には、女性のヘアスタイルの変化にまったく気づいてくれない男性も多くいるが、ここでの「私」は気づいてくれる人みたい。

 

この「耳かくし」から始まり、男女の控えめなラブシーンが出てくる。

私は両手の環をつくった。彼女はその環の中で、あたかもその腕の環を広々とした湯舟か何かになぞらえているらしく、全く朝湯へ入る時のように瞳を閉じたのである。私は両腕の環を少し細めた。

「両腕の環(わ)」って表現がなんだかかわいい。恥じらいをもってゆっくりジワジワと官能の中へ入っていくところがよかった。

傍目には最も陳腐であろうポーズやメソッドの総ても、私にとっては永遠にそうではなかった。寧ろこの上もなく斬新なものとして、主観的に静粛に私の両腕の環の中でくり返されたのである。

 

と、綺麗な流れの「メソッド」で進むかと思いきや、最後の方で「耳垢」エピソードが出てくる…。

話の流れで、例の「耳かくしの女」が耳垢を熱心にほじくりだして大真面目に披露するなど、珍妙な場面があるのだ。しかし「私」は彼女にそのような恥ずかしいことをさせてしまったことを自省し落ち込む。愚直すぎる姿に愛らしい滑稽さを感じる…。

さらに自然の素晴らしい光景の驚嘆、感動から、落ち込みが晴れる場面で締めくくられ、短い作品の中に人間模様が繊細に描かれていた。

 

 

 

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追記

 

さきほど、『山椒魚』のところで、うかつにも山椒魚と井伏さんの顔が似ていると囁いてしまいましたが、検証すべく早稲田在学中の井伏さんの尊容を載せておくことにします。

すみませんでした。似ていませんね。訂正してお詫びします🙇

 

『群像日本の作家井伏鱒二』より
 
 
約50年後、、、
 

井伏さんと山椒魚😊