「ね、なぜ旅に出るの?」
「苦しいからさ。」
と、印象的な会話で始まる『津軽』本編。
前回の序編から時間が空いてしまったけれど、これからも気が向いた時にマイペースにブログに綴って行こうかな。
こうしてブログに書くたびに『津軽』を読み返しているから、いったい何度読んでいるんだか分からない~😅
太宰の津軽の旅は、大切な人に会いに行く旅でもある。はじめに会いに行くのは、蟹田に住むN君。
N君は太宰の中学時代の唯一の友人であり、当時のN君の実際の写真も見たんだけれど(別冊太陽という冊子に載ってる)津軽風土が似合いそうな?素朴な顔立ちの少年。太宰の小説の中にも何度か友人として登場している。
ちなみに、太宰に酒を教えたのはこのN君らしい。それに関しては、なにかと責任を感じているようだ。
「僕だって、ずいぶんその事に就いては考えているんだぜ。君が酒で何か失敗みたいな事をやらかすたんびに、僕は責任を感じて、つらかったよ。でもね、このごろは、こう考え直そうと努めているんだ。あいつは、僕が教えなくたって、ひとりで、酒のみになった奴に違いない。僕の知った事ではないと。」(48)
思い出話をつまみに酒を飲む。いい友人がいるじゃないか~。
そういえば、当然のように「蟹田」という地名が出てくるが、もしかするとそこまで知られていない場所かもしれない。そんな蟹田駅に私はこれまで二度ほど下車したことがある(なぜに……)。
しみじみ思うけれど、普通の女子はきっと、沖縄~とか京都~
とか行きたがるだろうに、なぜにこんな渋い場所を訪れているんだろう。やっぱり変なのかな、あたし。‥‥‥。
次はもっとメジャーなとこへ行くぞぉ‥‥‥。
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太宰さんの手描き地図を見ると、蟹田は半島東にある海岸の町。
東北の海と言えば、南方の人たちは或いは、どす暗く険悪で、怒涛逆巻く海を想像するかもしれないが、この蟹田辺りの海は、ひどく温和でそうして水の色も淡く、塩分も薄いように感ぜられ、磯の香さえほのかである。雪の解け込んだ海である。(50)
津軽線が走る蟹田駅は、かつて北海道~青森を結んでいた特急スーパー白鳥(新幹線開通で廃止された)の停車駅であり、ホームには『津軽』の一文が書かれた看板がある。
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「蟹田ってのは風の町だね」は、N君の家に泊ってた時に太宰が発したことば。
ついでにこんなのもあった。。
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その後、太宰はN君と共にバスで北上し、三厩、竜飛岬へ移動するのだ。
私は、鉄道で北上~
なお、三厩へ行ったのは2015年であり、写真はその当時に私が撮ったもの。
現在この区間は運休しているもよう。このまま廃線になってしまうのかも・・・
昔のファミコンってこんな色でなかったかい?
津軽線。蟹田⇔三厩
三厩(みんまや)駅は津軽線の終着駅。ここが東北の果てかしら…という感じが漂っていた。静かで寂しくて虚しくて、よかった。
人はほぼいない。いたとしても、津軽弁がきつくてもはや外国語レベル。
う~ん、我ながらマニアックだわね~。
ちなみに、駅の待合所にも『津軽』の一文がある。
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とりあえず拡大しとく・・
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ここは本州の極地である。この部落を過ぎて道は無い。あとは海にころげ落ちるばかりだ。路がまったく絶えているのである。ここは本州の袋小路だ。(104)
なんというか、三厩にとって自虐的な一文を引用している気が…。
はるばるやってきたのに、「道は無い」とか「袋小路」とか…。これを読んだ観光客は不安に思うのでは…?まあ事実だけど。
そもそも観光客の姿が……ない!!
というか…いつの間にか人の姿が‥‥‥ないっっ!!!
…やはり今後、三厩は廃駅となってしまうのだろうか。
極地というだけあって、三厩駅周辺は遠くに山が見えるが、泣きそうになるくらい何もないし誰もいない。しかし1日数本のバスが出ている。
駐車場はすごく広いのに車が一台も停まっていないという…。
蟹田から列車で北上し三厩へ、そしてバスに乗ってさらに北へさかのぼり、竜飛岬へ向かったのであった!
諸君が北に向かって歩いている時、その路をどこまでも、さかのぼり、さかのぼり行けば、必ずこの外ヶ浜街道に到り、路がいよいよ狭くなり、さらにさかのぼれば、すぽりとこの鶏小舎に似た不思議な世界に落ち込み、そこに於いて諸君の路は全くつきるのである。(105)
さてこの後、太宰の記述通り、不思議な世界に落ち込み、路が全く尽きるのかな~?
つづく( ^ω^)・・・💧