美しい言葉で紡がれたことばの連なりを読んでいると、日本語を母語として生まれてよかったと感じますラブラブ

 

 

先月の記事にも書きましたが、改修のため約4年間閉館する(した)鎌倉文学館へ行く前に『春の雪』を読みました。こちらは再読で以前映画も観ました。

しかし、清様(妻夫木聡)の、裸にサスペンダーの場面が強烈で(原作にはなかったよ!)他はあまり覚えていないという…💧

 

これを機に『豊饒の海』を最後まで読んでいこうと思います!

 

 

 

 

自分のブログをどれくらいの人か最後まで読んでくれているのか分かりませんが、私は自分のための読書記録として感想や考えたことを書いていくので、基本的に内容に触れて書いていきます。

決定的なネタバレはしませんけどー💦

 

 

 

 

『春の雪』は、巨大な豊饒の海を渡る導入部としても、ひとつの作品としても成り立ち、ドラマチックで美しくも悲しい物語でした。しかし、ところにより笑えました。

三島作品には時々、大真面目に滑稽なことを論じたり行動したりする人物が出てくるので、おかしくなるのです。

 

そして、描写がひとつひとつ丁寧なので情景がくっきり思い描けます。今回の舞台は貴族の侯爵邸であり、その屋敷の広大さや華やかさ、招宴での女性の髪結や化粧や装束などのスタイル、季節ごとの自然美、さらに食事などなど。このような美しい描写の一方で醜怪な描写、特に女性の「老い」に関しては時に痛々しいく感じました。

 

 

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日本の貴族階級は明治~昭和の日本国憲法施行まで存在していたと言われますが、『春の雪』の時代背景は明治~大正初期、ばっちり貴族階級が存在しています。

 

物語は日露戦争の一葉の写真から始まります。

そして、侯爵家の嫡子松枝清顕(18~20歳)と伯爵家の令嬢綾倉聡子(20~22歳)の悲恋へと突き進みます。

 

 

清顕と聡子 映画「春の雪」より

 

 

若い清顕が持つ、プライドと青さと優雅さが、悲劇へとまっしぐらに突き進ませてしまったように思えます。

はじめは聡子の片思い。清顕はそんな聡子の気持ちを知りながら、常に優位に立った気分で聡子に接します。自分は愛していないのだと思い張っていたはずが、聡子が絶対不可能な究極の女性となった時から、清顕は強烈に聡子への恋に湧きのぼってしまうのです。聡子が皇族に嫁ぐことが決まり、いよいよ結納だというときに。

二人は、禁を犯した逢瀬を繰り返します。

 

 

清顕も始めのうちは

「優雅というものは禁を犯すものだ、それも至高な禁を」

なんて、かっこつけて考える余裕が見えていましたが、徐々に優雅だなどと言ってられなくなります。恋は苦しく醜いものだと知ります。

今彼が抱いているのは本物の感情だった。それは彼がかつて想像していたあらゆる恋の感情と比べても、粗雑で、趣がなく、荒れ果てて、真黒な、およそ都雅からは遠い感情だった。

 

和歌には恋を歌ったものが多くありますが、和歌になりそうにない恋もあるのでしょう。苦悩果てしない恋には、優雅とは程遠い醜い原料しかないのですよね。

って、私はそんな強烈に人を好きになったことがないので、清顕の気持ちは想像はできても現実には分からないんですけど。残念ながら!

 

自尊心が高く、優雅を備えていた清顕が、本物の感情をむき出しボロ雑巾のようになったあの姿は、、、若さとは言え、私から見たら、崇高にも見えましたし、同時に怖さを感じました。こんなに人を愛せるものかと。こういう感情は持続可能なのだろうか?

 

 

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そして、笑ってしまったのが、若い子息と息女を持つ親たちの必死な行動でした。

愛する男女が逢瀬を繰り返せば、懐妊は自然の成り行きでしょう。宮家と婚約している聡子が、結納直前に、別の男との子を妊娠、、、となると侯爵家、伯爵家の破滅はもちろん、国事に関わります。

子どもたちの罪を無かったことにさせる親たちの姿は、滑稽すぎました。莫大な費用をかけて、隠密裏にことを運び、お腹の子を始末させる手配をしますが、そこから先もてんやわんやで…。

そして、聡子がひとりで断髪してしまった場面があり、びっくり仰天した親たちが解決策として盛り上がった「かつら事件」。なにあれ。この辺喜劇っぽいんだけど、三島由紀夫はわざと笑えるように書いているのだろうか…、いやちがうよなあ…、なんて考えてしまいます。

 

必死に嘘に嘘を塗り固め、内内での大事件になりましたが、結果的に侯爵家と伯爵家が、はじめて腹を割り、奇妙な団結力で、両家が向かい合ったんだじゃないだろうかと感じます。親たちが偽証してまで守りたかったものって。。

 

それにしても、色々な形で「大人の事情」が見えました。

「優雅」というものが復讐をするという、違和感のある言葉に新鮮さを感じましたし、そんな長袖者(公卿)流の復讐の方法は……、はっきり言ってちっとも優雅ではありませんでした。

 

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さらに、忘れてはならないのが、清顕のすばらしき友人本田繁邦です。彼はいつも適度な距離感で清顕とつきあいます。ここぞという時は助けになります。清顕から電報が来ればすぐに駆け付け、理由も聞かずにお金を貸します。信頼関係が見えます。

こんな理解の深い友人と巡り会うだけでも、私からしたら羨ましいと感じます。

恋に病んでしまう清顕とは対照的、本田は堅固な現実を生きています。

 

そして、本田は日本へ留学してきたタイの王子から聞いた、不思議な「生まれかわりの話」の思想を考える姿が印象的でした。人が「輪廻」と呼ぶのも一つの思想なのかもしれません。

 

「一つの思想が、ちがう個体の中へ、時を隔てて受け継がれていくのは君も認めるでしょう。それなら又、同じ個体が、別々の思想の中へ時を隔てて受け継がれてゆくとしても、ふしぎはないでしょう」

「…肉体が連続しなくても、妄念が連続するなら、同じ個体と考えて差支えがありません。個体と言わずに、『一つの生の流れ』と呼んだらいいかもしれない…」

 

今後、この「輪廻」の思想が本田の中で、なんらかの形で変化し決定的なものなっていくのでしょうか。

 

 

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聡子への愚直な情熱以外のものが、もはや世界に存在しなくなってしまったかのような清顕。この世界において僕は最も悲劇なのだと、のたうちまわるかのような清顕。

そんな清様の血が溢れんばかりの叫びを……どうぞ。

 

僕は一人取り残されている。愛欲の渇き。運命への呪い。はてしれない心の彷徨。あてどない心の願望。……小さな自己陶酔。小さな自己弁護。小さな自己偽瞞。……失われた時と、失われた物への、炎のように身を灼く未練。年齢の虚しい推移。青春の情ない閑日月。人生から何の結実も得ないこの憤ろしさ。……一人の部屋。一人の夜々。……世界と人間からこの絶望的な隔たり。……叫び。きかれない叫び。……外面の花やかさ。……空っぽの高貴。……

……それが僕だ!

 

水晶のように美しくも冷たさが見える人間であった清顕が、生まれながらにして恋のために死があるかのような情熱をもった相貌への変わりよう。それはそれは盲目的でしたね。

『春の雪』を読んで、清顕をどう見るか。青いだけだろうか。ある意味、読者の経験値が感じられそうです。

 

それに引き換え、女性の聡子は涙するものの、サッと潔く行動に移しましたよね。

「 後悔はいたしません。この世ではもうあの人とは二度と会いません」

 

 

人生において決定的なものを見つけ、「感情の戦争」を全力で疾走しきった清顕がこの作品の中に見えました。