こちらは、精神科医であり医学博士、さらにトラウマやジェンダーの研究にも携わっているという宮地尚子さんの視点から見た世界や日常、そして日々の思考が書かれたエッセイ集。

肩書きも学歴も立派な著者であるけれど、肩ひじ張らずに力を抜いても読めるような、あたたかくやさしい語り口だった。

 

傷を愛せるか 増補新版 (ちくま文庫 み-37-1)

 

様々な情報が溢れ返る現代、情報の取捨選択に追われる日々。世の中を見れば、平和と叫ぶ割には程遠いことが行われていたりする。身近では、嘘があり裏切りがあり喪失があり、なんだかうんざりしちゃうけれど、、、

とにかく毎日どこかで色々なコトが起きている。そういう中で自分自身も傷を作ってきたし、傷をつけられてきた。そして知らず知らずのうちに傷つけたりもしてきたんだろう。

傷がついてしまった心は痛いし、醜いし、みじめでさびしい。

それは、著者宮地さんの言葉を借りれば、「できたてのかさぶたのように、剥がしても剥がしても、微細な出血の上にまた張り付いてくるようなもの」なのかもしれない。治ったと思っても、なにかのきっかけで疼く。

 

ということで、この本によって少しでも癒されるかな~?と思って手に取った。

 

 

今の自分にとって印象に残った小題作はこちら。

  • ブルーオーシャンと寒村の海
  • 捨てるものと残すもの
  • 人生の軌道
  • 張り付く薄い寂しさ
  • 傷を愛せるか

どれもよかったけれど、中でも印象に残ったのは以下の順。

  1. 張り付く薄い寂しさ
  2. 傷を愛せるか
  3. ブルーオーシャンと寒村の海

 

 

タイトルにもなっている「傷を愛せるか」について少し書いてみる。

こちらには、ワシントンにあるベトナム戦没者記念碑の「傷」について書かれている。

著者はこの記念碑を実際に見たとき、立派なワシントン記念塔との対比を「しみじみとしたみじめさ」と表現し、「本当に傷なんだ。晒されたままの傷」と述べていた。

 

これには、はっとさせられたし、なるほどと思った。同時にいくつかのことが頭に思い浮かんできた。

 

↑遠くに高く聳えている白い塔がワシントン記念塔、黒い壁がベトナム戦没者の記念碑。

(記念碑デザインはマヤ・リンという中国系アメリカ人)

 

壁になっている黒い石には、無数の戦没者の名前がびっしり刻んである。戦没者を讃える碑文は特にない。

改めて驚いたのが、記念碑は地中に彫られた感じでのめり込んでいるので、見下ろせるのはもちろん、その上を人が歩けるようになっているのだ。戦没者が踏みつけられているような感覚さえしてくる!

そんな光景を、ワシントン記念塔が上から見ているのだろうか。

 

これはアメリカにとって負の歴史。いまもベトナム戦没者記念碑を無きものにしてしまいたい人は多いに違いない、と著者は述べる。斬新なデザインに美化されているようだが、これこそ「傷」なのだと。

傷は傷である。

美しい傷など、実際にはまずありえない。傷は痛い。傷はうずく。血が流れ、膿が出て、熱をもち、ウジがたかり、悪臭を放つことすらある。傷はみじめで、醜い。

 

さらに、著者は「景観の抹消」は、人びとの記憶を抹消する手っ取り早い方法としてあちこちで起こっている、とも述べている。

負の歴史と、そこにある傷の記憶をずっと直視し続けることはむずかしい。

敗北に終わった犠牲は貴い誇るべきものではなくなる。

 

ベトナム戦没者記念碑は、抹消されずにきちんと「傷」として残されている。

でもきっと、踏みつけられているかのようにも見える「傷」の上に、やさしさが作られることもあるんだよね?

 

 

ふと思い出した。

突然日本のコトに話しが飛ぶけれど、真珠湾攻撃で戦没した海軍軍人について。彼らは「九軍神」と呼ばれる。九人だったから「九軍神」。が、実は十人いて、一人は生き残り、米軍捕虜になったという事実がある。

死ねば「軍神」の称号を与えられたが、生き残った一人は存在を抹消された。当時の日本にとって「傷」だったのか。

当人も、生き残ったことを悔やんだという『酒巻の手記』をいつか見たことがあるけれど、戦争が終わり徐々に世相が変わる。その後の彼は捕虜の時に身につけた英語が強みになったという。

 

世相が変われば、「傷」の見方も変わるのかな?

ベトナム戦没者記念碑がずっと傷であり続けるように、やっぱり「傷」は「傷」のままなのかな?

 

たぶんそうなんだろう。だから、、

傷がそこにあることを認め、受け入れ、傷のまわりをそっとなぞること。

身体全体をいたわること。

ひきつれや瘢痕を抱え、包むこと。

さらなる傷を負わないよう、手当てをし、好奇の目からは隠し、それでも恥じないこと。

傷とともにその後を生き続けること。

とうったえかける。この部分を穴があくほど読み返してみた。

 

生き残った酒巻氏は、まさに著者のいう「さらなる傷を負わないよう、手当てをし、好奇の目からは隠し、それでも恥じないこと。傷とともにその後を生き続けること。」を実現していたのではないだろうか。もちろん一時は生を傷だと恥じたのだろうけれど、後に生の希求へと変化している。

彼はその後、大手自動車会社で勤め、当時の思いや経験を後世に残した。さらにその手記は貴重な財産になっている。傷とともにその後を長く生き続けた。

 

 

・・・なんて考えていたら、傷が癒されるというより、別の方向に関心が向いたことによって、傷を忘れることができた、、、気がする。

他にもあっちこっちに意識がリンクしてしまった。でもこういうのも大切なのかなと思った。

だれも関心をもたないけれど、自分にとっては不思議でたまらないという疑問を抱えているなら、ぜひそれを大切にしたほうがいい。

 なんとなく、この一文が繋がって…。

 

 

今回は「傷を愛せるか」について書いたけど(本当は「張り付く薄い寂しさ」について書こうと思っていた…💧)、著者は旅などで出会った景観ひとつでも、ここまで思考が及ぶのだ。

いや、旅という非日常空間でなくても、日常のなにげない一コマ、さらには記憶の断片でもそうだ。

 

そう考えると、日常に転がっているものはたくさんあるし、これまでの自分自身の記憶だってある。些細なことでも、それを丁寧に掬い取ってみたら、、、意外にもそういうものが、感性や好奇心を刺激する一つにもなるかもしれないし、ゆくゆくは「傷」の解き方のヒント、さらには少しずつでも「傷」をほどく呼び水に繋がるかもしれない。

そしていつか傷を愛せるのかも、、、だからといって、無理に傷を愛さなくてもいいんだよねとも思った。

 

空は広く、道はない。紆余曲折。試行錯誤。なんでもいい。

それでも行きたいと思っていた方向にいつか人生は収束していくのだと、どこかで深く信じていたい。