存在の耐えられない軽さ

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以前『DAMAGE』という映画を見た時に、ジュリエット・ビノシュが出演しているということで『存在の絶えられない軽さ』という映画の存在を何人かの方に教えていただきました。

 

 

ということで、早速みました!

原作はミラン・クンデラ。監督はフィリップ・カウフマン。

 

が、、、鑑賞したのはひと月程前。内容が深くて、自分の中でまとまりませんでした。

そしてタイトルでもある『存在の絶えられない軽さ』の意味が分かったようで分からなくて。

これは、ミラン・クンデラを読まなきゃ分からないのか?

なんて思ったりもしたけれど、映画の記憶が薄れて行ってしまいそうなので、書いてみることにします。

 

※ネタバレは・・・してます!

 

 

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主な登場人物は、一人の男性と二人の女性。

この三人のキャラはそれぞれ個性的だった。私から見た彼らの勝手な印象。

 

トマシュ(軽い)

すぐに "Take off your clothes." って言う。女性へのあいさつ代わり。あの余裕ぶったハント的な上目遣いがいやらしかったな。それで女は、すぐにtake offしちゃうんだから、なんなの、バカじゃないの、女。医者だから?顔がいいから?(いいのか?)

てな感じの、女性と気軽に交際しまくる優秀な脳外科医。おまけに優しい。。。

 

ふーん。

 

テレーザ(重い)

あどけないジュリエット・ビノシュが非常にかわいらしかった。

トルストイを読む純情で可憐な(しかし垢ぬけない)文学少女かと思いきや、トマシュのことを好きになり彼を追っていくという積極的な面がある女性。喜怒哀楽に溢れ、感情の放出が激しい気がした。

トマシュのようなプレイボーイを好きになってしまい、悩みに悩む。まさに「存在の耐えられない軽さ」。

正直言うとテレーザをなかなか好きになれなかった。感情を自由に出せる姿がどこか幼く見えたし、ちょとだけ羨ましくも思った。さらには、私自身がさらけ出すことができない感情の内面を見ているような気がしたから。

 

垢ぬけなくてもかわいい。

 

サビーナ(軽い)

個人的には彼女が好きだったな。こういう生き方、こういう女性に憧れるのかもしれない。自分はサビーナのような部分があると思っていたけど、実は全然違うのかもしれないと最近思い始めている。。

サビーナはノマド的生き方ができる自立した芸術家。しかも胸の形がよくて、スタイルよくて、もっと裸になってくれ!って思っちゃったね。

彼女は特定の男性を愛せない、というかあえて愛さないようにしている気がした。テレーザの大切な人と分かっているトマシュと関係を持っても彼女を悪と思えなかったし、それ自体が自然に思えてしまった。彼女のスタイルとトマシュのスタイルは似ていて、「存在の耐えられる軽さ」って感じだった。

 

依存しない。

 

パーフェクト。

 

 

この三人の三角関係でストーリーが進んでいく。

トマシュとテレーザは結婚する。トマシュなんて結婚に不向きだとおもうが、テレーザのことを好きというのも事実だろうし、テレーザの強い希望をかなえた感じだ。しかし結婚後もプレイボーイを発揮するトマシュにテレーザは悩む。

もっと自分と似たような価値観の男性を好きになればよかったけれど、好きになっちゃったからしょうがないよね…。

 

 

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私の中ではこの作品のテーマが二つに分かれた。

  • 男女の性愛の形
  • プラハの春

 

男女の三角関係で物事が進む中に、プラハの春という名の暴動に巻き込まれていくわけだが、「存在の絶えられない軽さ」は主に男女の性愛の形の方に見えた。

プラハの春がこのタイトルテーマにどのように関係し纏わりつくのか、ボーっと見ていたからなのか、いま一つピンとこなかったが、見終わって数日後に、金と自分自身だけを心配しているような政治体制側の言いなりにしかなれない人々の存在を言っているのかとも少し思った。自分自身を心配しているつもりが首を絞めることになっていないか。

現にトマシュは医師という職を捨ててまで主義を曲げなかったわけで。となると、この面ではトマシュは軽い存在とは言えないな。

 

 

 プラハの春と亡命

テレーザの写真の才能が開花されたようだ。歴史の瞬間を勇敢に写真に収めていた。

 

世界が混乱している最近、常々思うのは、本当に必要なものは、歴史の振り返りではなくて、正確な事実を情報として伝えることだと思うし、もしそれが困難なら真偽を見極められる眼を個々人が持つ努力をしなければならないと思う。多くの人はそれを拒絶するけれど。

 

 

暴動により、いちはやくスイスへ亡命したのがサビーナ。それを頼りにトマシュとテレーザも亡命。

 

トマシュとサビーナは再開後、沸々と湧き上がるものがあり、やはり二人は男女の関係になるが、それは軽いものだ。

テレーザは苦悩し「私にとって人生は重いのにあなたにとっては軽い、その存在の軽さに耐えられない」的なことを手紙に記し、混乱の最中のプラハへ帰ることになる。

テレーザの気持ちはとても分かる。私も彼女の立場に立ったらこうなるだろうから、彼女が自分みたいに思えてくるし、かといって彼女みたいに感情をぶつけられるかと言ったら、どうだろう。だからサビーナみたいな女性がいいな。

 

 

 テレーザとサビーナの関係

テレーザとサビーナの関係は悪くない。

むしろお互い惹かれていたし好きだっただろう。ちょっとlesbianな香りが漂う。トマシュ、あの男がいなければ…。

 

女ふたりが服を脱いでヌード写真を撮り合うシーンが印象的だった。

(一応、芸術家同士としてこーゆーことをしている、はず)

その時にテレーザが涙を流すんだけど、、、

 

この涙の意味は、、

 

(私はトマシュのことを誰よりも愛している。あなたがトマシュと関係を持っているのも分かっている。あなたたちにとってはただの遊びのようなものかもしれない。でも私は違う。だからあなたが憎い。でもあなたが好き。あなたと過ごす時間がとても楽しい。だから悲しい。)

 

…みたいな。

原作知らない私の勝手な妄想だけど。

 

 

 人生を軽く生きたい

テレーザはトマシュのやめられない女性関係に悩み、孤独と絶望を感じる日々。

だから自分も彼のように生きたいと、よく知りもしない男の家に行ってしまう。

その後の後悔と苦悩と激しい恐れ。可哀そうに。なんかアンナ・カヴァンみたい。

こういう人に限って面倒な男に当たっちゃったりね。

彼を待って孤独に耐えるのも苦しい、彼の真似事をしても苦しい。

一番の解決策は全く別の芝生を見て上書きすることだろうけど、そう簡単にできることじゃないから苦しい。できることなら私も別の芝生を見たい。

 

 

 死は不幸か幸福か

最後の方でようやく、トマシュとテレーザを安心して見ることができた気がする。

彼らは地方に移り住み自然と共存して生きている。幸せそうだった。

トマシュはなんだかんだで、テレーザの願いをかなえてあげている。女性ハントがなければ完璧なんだろうなと思う。

サビーナはどこか異国の地で芸術家として一人で生きている。そしてある日、彼女の元に来た一通の訃報。

手紙を読んだサビーナの表情がいつまでも印象的だった。

 

 

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とまあ、記憶が薄れかけていますが、思い出しながら書いてみたら、いつものごとく長くなった。

それだけ印象的な作品だったってことで。

そしてプラハの春についてもう少し知りたいなと思ったり。

動乱の最中にも人間の本能的な愛欲というものは生まれるようで、なんかみんなちゃんと生を全うしてるなって感じがした。