昭和64年 1月7日(土)
僕達S高校 陸上競技部員は中池総合運動公園に集まっていた。
早朝の天皇崩御というニュースが、正月気分を忘れさせ、日本という今迄に感じた事のない塊とそこに自分達が生きている事実を感じていた。
昭和ではなくなる。
春からは、地元を離れ、この親しい仲間達とも別れなければならない・・・
昭和63年 12月10日(日)
秋には指定校推薦で既に大学が決まっていた僕と親友Hは、毎日の様に図書館に通い、それぞれが大学を出た後に取得したい国家資格の参考書を広げていた。
Hは税理士、僕は司法書士。
国公立文系コースに在席しつつも、成績が振るわなかった僕達は、同級生が受験という大きな壁に立ち向かっている時に、早々と戦線離脱して中庸な私立大学に進む事を何処か恥じる気持ちがあった。
陸上競技にのめり込む事で、入学当初から感じていた劣等感と焦燥感が中和されていたが、引退してしまうと、それに向き合う事になった。
その日、第8回 全日本実業団女子駅伝が開催される。
名鉄美濃町線S駅で岐阜行きの電車を待つ2人の前に中年女性がビラを持って近づいてきた。
女性は突然、少しお話しいいですか?と、ビラの内容を話し始めた。
その写真に驚いた、いつか雑誌ムーで見た髭と長髪の男が座禅を組んだまま、空中に浮かんでいる姿。
岐阜市文化センターでその宗教団体の催しがあるから是非行って欲しいとの事だ。
予てから心霊や精神世界への興味が強かった僕は、Hに駅伝の後にそこへ行こうと提案した。
Hも面白そうだと承諾した。
車中でビラについて話す僕達に、隣に座っていた中年女性2人に、何それ?と話しかけられ、そのビラを見せた。
2人も僕達同様にその内容に驚いて興味深く見ていた。
電車に揺られながら、これから見に行く宮原美佐子、松野明美、荒木久美、小島和恵、宗監督といったテレビの中のアイドル達と同等に麻原彰晃という人物の存在が大きくなっていった。
岐阜駅からバスに乗り換えると、胸の鼓動が高まった。
リュックの中のインスタントカメラを何度も確認した。
スタート地点の岐阜県庁に着いた時には、参加チームのスタッフが続々た到着し、慌ただしさを増している様子だった。
目の前を宗兄弟を乗せたタクシーが通ると、頭のネジが弾けた様にそれを走って追いかけた。
緊張で胸が爆発しそうになりながら、2人に写真を撮らせて貰った。
エース区間の1区のウォーミングアップが始まると、飛ぶ鳥を落とす勢いのひときわ小さな松野明美を見つけた。
カメラを向けるとキツイ視線が返ってきてたじろいだ。
今まさに集中力を高めようとしている超有名選手に睨まれた事で激しく動揺したが、やがて他の有名選手の撮影にまた没頭していった。
ワコールの優勝でこのエキサイティングな大会は終わり、時計を見るともうあの団体の催し物には間に合わない事に気付いた。
残念な気持ちは残ったが、駅伝の興奮から更に他のものを受入れるキャパシティは残っていなかった為、直に忘れる事ができた。
1995年3月20日(月)
早朝の通勤時間に地下鉄サリン事件が発生した。
霞が関の農林水産省へ勤務する大学の友人Sはその難を逃れた。
既にあの団体はどうやら真実ではないと、心霊と精神世界への探求心によって得た知識から判断していたが、事の大きさに驚いた。
天皇崩御の時に感じた、日本という塊が大きくざわめいていた。