【大家MASA】南ドイツ、アルプス地方感動の旅 7日目 | 大家MASAの世界まるごと不動産投資

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ICEでミュンヘンからシュツットガルトに約2時間で移動して

ポルシェミュージアムにやって来ました。

 

 

2004年に来て依頼なので実に12年振りです。

2010年にリニューアルされたのでチャンスを伺っていました (^ ^)

 

ポルシェには個人的に思ひ入れがありまして、

ビンボー若輩サラリーマンだった25歳の時に不退転の決意で1988年式911を購入。
一時期はメンテ費用を捻出するために1日500円で暮らしていました。。

 

RRの独特な操縦性と高速時のスタビリティに国産とは明らかに異なる設計思想に

感動しましたがやはり運転は難しく雨の箱根で一回転して危うく谷底に落ちそうにも

なったほろ苦い想ひ出が浮かびます。

 

ドライザンプでエンジンオイルが13リットル入る空冷水平対向3.2L6気筒エンジンは

日本の真夏はとても乗れるシロモノではありませんでした。

しかしながらメカニズムは大変シンプルでメンテをきちんとすれば耐久性は高いので、

スーパーカーの中ではイタ車などと比べれば維持し易いと思ひます。

 

その後、7.8倍の倍率をすり抜けて入学した大学院では企業変革を専攻し

学力の低い私が書けそうな論文のネタがポルシェでした。

その際に取材と称してミュージアムと本社ディーラーを訪問しました。

 

フェルディナントポルシェ博士は戦前にフォルクスワーゲンビートルや戦車などの設計を

手掛けますが、戦後はヒトラーの協力者として連合軍に投獄されます。

その間仏シトロエンの2cvの設計に協力します。

 

 

その後、ジェームズディーンで有名な356、1960年代以降はスティーブマックウィーン主演で映画化されたルマンなどのレース戦歴など華々しく911が中心となりスポーツカーの代名詞になりました。このように積極的にハリウッドスターを起用する事でポルシェにとっては北米市場が重要なマーケットとなっていました。

 

 

しかしながら20年に渡りフルモデルチェンジなく時代遅れの空冷の911がメインで

FRの928などは不人気であったため80年代以降は日本車や他メーカーのモダナイゼーションに押され経営的にはかなり苦境に立たされます。

 

 

90年台に同じ独メーカーのメルセデスの500EやアウディのRS2などの生産を請け負う事で急場をしのぎますが抜本的な解決にはなりませんでした。

 

そこで意外と知られていないのですが、ポルシェはトヨタ生産方式を取り入れました。

ドイツでは格の高い工学系の博士号ホルダーたちが日本から来たコンサルに怒鳴られダメ出しを受ける日々が続きます。

 

その甲斐もあり経営的にも改善され1996年以降、水冷化された996型やボクスターのリリースへと相成り、ラインアップの近代化と開発を止めていた4ドアモデル、カイエン、マカンやパナメーラにつながります。2004年頃の生産台数が8万台足らずだったのが今や22万台越えとなり4ドアモデルが収益のメインを占めています。911でブランドイメージを保ちながら、プラットフォームはフォルクスワーゲンの4ドアモデルを売りまくるというかつてのポルシェでは考えられない状態にまで変革したのです。

 

 

またこれも意外と知られていないのですが、エンジンなどのコンサル業も収益の柱となっており、ハーレーダビッドソンの水冷エンジンはポルシェが設計しているのです。

 

以上、ポルシェの変革の歴史と日本とポルシェの関係が意外と深いのだと言う事を

お伝えさせていただきました。

 

PS:ミュージアム前の展示車両の最新車種を試乗できたのにビールを飲んでしまって残念。