嗚呼壮烈岩屋城址 高橋紹運 | OH!江戸パパ

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本日は太宰府駅から林道を歩いて小一時間くらいの岩屋城跡まで行きました。その先は体調しだいで福岡県民の森まで行けたらと思いましたが、坂道が続き呼吸も苦しくなり無理でした。
 

 
ここから岩屋城跡に上がります。岩屋城は大友宗麟の配下の武将で高橋紹運(たかはしじょううん)が当時の城主でした。島津は当時、大友、龍造寺と九州の覇権を争い秀吉の調停案を聞かず筑前へ4万5千の兵で攻めてきて、岩屋城は籠城作戦で見事に進行をくい止め高橋紹運以下763人が玉砕しました。
 
 
高橋紹運は岩屋城で2週間耐え忍び全員玉砕しました、秀吉の軍は岩屋城の攻防戦には間に合わなかったもののその後の九州征伐で島津を降伏させました。
 
 
こちらの石碑は高橋紹運の家臣の末裔が昭和に建立しました。山城で見晴らしも良く、いかにも攻め難い場所にあります。
 
 
石碑は正面は太宰府天満宮や太宰府政庁跡が見渡せる方角を向いています。こちらは石碑裏面側から撮りました。桜の木もありテーブルもあり、桜の咲いた晴れた日に弁当を持ってくれば最高です。
 
 
見晴らしは抜群に良く、案内板もありました。
 
 
さて少し先に行くと高橋紹運と家臣の墓がありました。林道から少し下ります。
 
 
石垣の上に盛土がしてあり、経年劣化か地震でくずれたのか何もありませんでした。ただ造花ですが花が供えてありました。
 
 
道案内に更に下った場所に磨崖仏があるとありました。かなりの断崖でここだけの行き帰りで呼吸が苦しくなり、山歩き続行不能となり、引き返す事にしました。
 
 
みかさ温泉の立ち寄り湯は700円、天然温泉で小さいながらも洞窟風呂もあります。
 
岩屋城が島津を足止めしてくれたおかげて筑前は1587年の博多町割や博多復興で立ち直る事ができました。