仙厓さんの散歩道(仙厓さんぽ) | OH!江戸パパ

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東長寺六角堂には覆屋の中に6体の仏像が納められています。その中で地蔵菩薩の仏龕の表扉には仙厓さんの絵と仙厓さん、亀井昭陽、曇栄宗曄の賛があります。
 

 
 
扉絵の方は毎月28日に開帳される日でも見ることはできません。私が前々から不思議に思っていたのが。この六角堂が博多でくすり屋を営んでいた萬歳楼袖彦より寄進されたのが、1842年でした。そして仙厓さんが亡くなったのが1837年で当然扉絵を描くことが出来ません。亡くなる前に原画を描いていただろうと推測しました。
 
扁額とかは紙に墨書きして裏打ちし木にあて削るのだろうとおもいますが、この仙厓さんの絵は原本が残っているので模写したのを使ったのか、摸刻したのか詳しい技術は分かりませんが、少なくとも仙厓さんが直接板を彫ったり、下絵を書き込んだりはしていないはずです。
 
そこで図書館やネットでさがしましたら仙厓研究家の中山喜一郎さんの本に同じ絵がありました。上の写真が個人蔵の仙厓さんの絵です。三聖吸酸図で、六角堂ができる30年近く前(1813年)に描かれています。
 
孔子、老子、釈迦がカメの中の酢(桃花酸)を舐めると同じく酸っぱいと感じる。根底にあるものは一緒、三教一致を表しています。
 
興味深いのは仙厓さんの他に亀井南冥の息子の亀井昭陽と弟の曇栄宗嘩が賛を書いてることで当時は朱子学が奨励されていて修猷館が幅を利かせ、亀井南冥の甘棠館は火事の後に閉鎖しました。暗にこれを批判してるのではないかと思いました。
 
 参考
曇栄宗嘩は崇福寺の住職 1750年‐1816年
亀井昭陽は亀井南冥の息子、亀井塾 1773年‐1836年
仙厓は聖福寺の住職 隠棲し嘘白院時代 1750年‐1837年
萬歳楼袖彦は博多の商人で文化人