石穴稲荷神社をご存知でしょうか?西鉄太宰府駅より徒歩15分くらいの場所にあり、創建も不明なのですが菅原道真と一緒に太宰府に下られたお神様とする伝説が有力です。しかし実際に訪れてみると古代の遺跡のような巨石群と幽玄な奥の院の形態から、菅原道真よりはるか以前に自然信仰の神祀りが行われていた事が想像されます。
太宰府天満宮から近いのに訪れる人は少なく私達が参拝している間に二組くらいしか来ませんでした。同じく稲荷神社の太宰府天満宮裏手の天開稲荷社はパワースポットで有名になり、天満宮参拝ついでにかなりの方が訪れるようになりましたがここはまだまだ知られていません。
石穴稲荷神社の拝殿、扉は閉まっていましたが随時開けられるようです。拝殿の右側に石段が見えていますが、ここから奥の院に上がれます。それほど遠くないので是非行ってみましょう。ここは宮司さんは常駐していないようで、お守りの授与や御朱印はやっていません。祈祷・祈願も要予約です。
このように開けると手前に賽銭箱と由緒書きがありました。ちなみにこちらの神社は普段は無人のようで、御朱印は賽銭箱に送り先を書いた紙と料金500円+送料を入れたら郵送してくれます。正殿右手より裏山を少し登った場所に奥の院があり、そこへはまず、備え付けの履物に履き替えます、更に奥の院の岩を登るのにはその履物も脱いでいかなければなりません。ここらへんのシステムは今一わかりませんでした。クロックスに履き替えて石段より入場して、突当りの桃若稲荷から奥の院へはクロックスを脱いで岩を伝って行くのか、クロックスのまま行くのか判断が難しく、無人なので聞く人もいませんでした。
奥の院を目指していくとまず桃若稲荷大神という小さな祠がありました。祠の向かって左下には遺跡のような岩穴がありました、ちょっと覗いてみましょう。
この岩穴を覗くと小さな鳥居がありました。ここは人一人がきつきつで入れるくらいの大きさです。さて桃若稲荷大神に向かって左側に最終目的地である奥の院の幟旗が立っています、そこまでは巨石群の上を渡っていきます。
奥の院を取り巻く風景、大小のお狐様。奥の院の岩穴前に鎮座しています。奥の院参拝が終わり帰りのルートを辿ります。
大宰府は明治維新の震源地ともなりました。尊王攘夷派の公卿5人が天満宮境内の延寿王院へ落ち延びました。三条実美公はある時大事な太刀を紛失してしまいます。困った三条公は石穴稲荷神社で祈祷を行うとたちどころに太刀が現出したのでお礼として唐櫃を奉納されました。その後も五卿らと石穴稲荷神社を訪れます。五卿が来たという事は、距離は歩いて15~20分くらいですが護衛がいると思いますので、幕末の著名な勤皇派が同行してここで大願成就の祈願をしたのではないでしょうか。五卿は軟禁状態とはいえ公卿なので、手厚く保護され比較的自由に散策等できたようです。