1分47秒6の熱戦の末、白鵬を退け、力尽きたかのように土俵に額を付けた。「勝利を与えてくれた土俵の神様に感謝の気持ちでした」。日馬富士は荒い息で語った。悲願の横綱昇進が確実に-。誰に報告したいか問われると「父に」と神妙に口を開いた。



 12年前、モンゴルで開催された入門者選抜の相撲大会。細身の少年はひときわ、力強い目をしていた。モンゴル相撲の関脇で警察官の父親、ダワーニャムさんは「うちの子は泣いても逃げて帰ってくる子じゃない」と言い切った。安治川親方(現伊勢ケ浜親方、元横綱旭富士)は約120人の中から他2人とともに彼をスカウトすることを決めた。後の日馬富士だった。



 言葉の通じない相撲部屋に入った16歳は、寂しさを紛らわすため1日に何度もトイレで家族の写真を眺めた。だが、持ち前の負けん気と人一倍の稽古で3年で関取に上がった。



 幕内に定着した平成18年、父が交通事故で亡くなった。「いくら起こしても起きてくれない」と亡きがらに涙を落とした。衣食が足りたら人に尽くせという父の教え通り、日馬富士は今、母国の心臓病の子供を支援するNPOに協力し救急車や机などを故郷に寄贈する活動を続けている。



 20年九州場所後には大関に。満足感に浸って停滞し、負傷による途中休場も初めて味わった。そんな中、長女が生まれた直後の昨年2月、支援者の宮司の元を訪れ、初めて祈祷(きとう)を受けた。後援者には「子供のことを考えたら、やらないといけない」と語ったという。今年に入ると、はっきり「横綱を狙う」と口にするようになった。5月の夏場所後に次女が生まれてからは一度も負けていない。



 「亡くなった父は出世する、しないより、正しい生き方をすることを一番喜ぶ」と日馬富士。父の思いを胸に2児の父となった28歳は角界の頂点へと駆け上がった。(宝田将志)