ナガレンのブログ -2ページ目

あれから

コロナが流行り始めたころ、ちょうど退院になる。あれから一年を振り返る。


帰ったら、緊急事態宣言かでて、次女は学校が休みに、かえってすぐの私には、筋肉が落ちてしまい何をするのものろのろだし、次女がいて、たすかった。


家族みんなにしんぱいかけたけど、次女は私が危ないと言われたことで、かなりメンタルがやられて、不安定にになってしまった。

ごめんね。


二人でまったり過ごすときもあれば、思春期真っ只中なので、バトル日もある。

受験を前に本当にいろんなことかありすぎた。


心がやられると、体もしんどくなる、わかるよ。

内容は違っても、お母さんもかなりメンタルやられることがあって、立ち直れんかった。


もがいてもわかってはもらえない。

そんなとき、どかーんと感染症にやられた。あれを気に、考え方をかえて、家族のために生きようと決意した。


次女には、寄り添いすぎず、手は、放さないよ。流れに任せて頑張っていこうと

幾多の困難を乗りきった。


このフレーズ、入院のときの、担当Mさんにも言ってもらった、その時どん底だったから、支えてもらえて力が出た。


中学校ってこんなにしんどかったかな?自分のときはどうだっただろう。

先生たちも聞く耳はあるし、配慮もある、時代なのか?なんかうまく波にのれず、もがきながらも色々とこなしていく次女が健気でかわいそうなときもあった。


私は、エールを送ったり、時には相談にのり、あの時死んでなくてよかった。とつくづくかんじた。


次女も大変ながらも、支えてくれた人はいた、ミュージカルである、二年に一度ある市民ミュージカル、一年生から60歳まで、幅広いキャストで講演する。


次女は4年生からはまって、私がICUに入ってたとき、その時期たった。

お母さんが死んだらショボーンとくよくよ、めそめそしてたけど、練習は続けた、あの時しんどかったけど、行くと、みんなと練習して辛い気持ちを忘れられた。と話してくれた。


心のよりどころになったね。

中学二年で、大切なときなのに、よくやらせたね

とある人に言われた、でも本人やりたいんやもん。

本人が決めたことやから、私は、応援するもんって思った。

正解でした。

彼女の支えになった、目を輝かせ生き生きと踊る本番をみて、よかった。とおもった。


いなければ、いないでいける日もある、

でも、そばにいてこそ乗りきれたこともある、それをつくづく感じる一年やったな。



















感染症 4

10時半、病棟到着でと告げられた、本当は後、2、3日いるはずたったから、バタバタと上に上がる準備がされた。


お世話になった先生、看護師さんに御礼を言った、本当に良かったねおねがいと手を握ってくれた。色々あったけど、ウルウルするな。ベットに寝たままありがとうございました。


懐かしいいつもの病棟へ

私の部屋の前で担当のMさんはまっていてくれた。


お帰り😆✨🏠の言葉に号泣した😭😭😭💦

懐かしい顔、顔、顔、あっ!ずっと遠くで私の名前をを読んでいてくれたSさんもいる、なんも覚えてないけど、名前だけはずっと呼ばれてたのは覚えてた。もうぐちゃぐちゃに泣いた。


体はまだまだおこせないけど、はなの管を抜いてもらい、初めて水を飲んだ。

おいしかった。

ゼリーぐらいなら食べれるよとまずはMさんが、ポカリスエットをとろみをつけて食べさせてくれた。


おいしい😋🍴💕生きてるって素晴らしい‼️と大袈裟かもだけど、私はそう感じた。

次の日母が来てくれた。


病室に入るなり号泣😭😭😭💦

ごめんね🙇💦💦心配かけて

はなしができるようになってるわたしに、父もびっくり、それからしばらくして、子供たちとも会えたこんな日がくるんだ。嬉しくてたまらなかった頑張ったね。何をしてもありがとうと思った。


ここから普通の体に戻していくのに二ヶ月ほどかかった。食べる、歩くすべてがなにもできなくなってた。


そうそう口の管の抜けた日はお爺ちゃんの命日だった。

ありがとうたすけてくれたんだね。


他にもいっぱいいっぱい力をもらってここまでこれた。


感染症はマグマか爆発するように突然なんの前触れもなくやってくるらしい。

感染症の怖さは本当に突然です。


コロナも感染症

沢山の方が、今もなお闘っておられる、

感染症の崖から這い上がって、今ここにいることに感謝します。

そして、一日も早く終息することを願うばかりです。照れ


























感染症 3

それからは、回復にむかっていった、

目覚めてる時間もながくなり、周りの状況も少しずつわかってきた。


自発呼吸も出来てきているので、口の管が抜ける日も近いといわれた。


管がささっているので、しゃべれない、

うんといえいえをあたまをふるだけ、

なにか伝えたくても、なんもつたえられない、看護師さんを呼ぶことも出来ない、ICUだからナースコールで呼べる人はないんやね。


私も手を手すりにしばられてたから、思うように動かない、どうしてもか、ぞ、くは?

と聞きたくて、うったえたが、ごめんね😢💨💨わからないわ、といわれてばかり、くやしくて、なさけなかった。

ちっとも伝わらないってしんどい。


次の日、あいうえおのボードをもってきてくれた。

そうそうこれこれ、か、を指差そうとしたら、手がいうことをきかない、あたまではおもっていても、手も上がらない、まして指差すなんて難易度、大

汗だくになってもできず、断念、

無力さに、涙がとまらなかった?


たった一言、家族は?と話せなかったショボーン


それから数日後、レントゲンの結果よし、ということで、管が抜けた。


ながーい管が、口からカバっと出てすっきり、嬉しかった。おねがい

嬉しかったおねがい


その日の午後、主人が面会に来て、管が抜けてるのをみて、ビックリ、と同時に号泣😖😢😭💨した。

かすれてて、まだ声は小さいけど、話せる、話せる、話せる!嬉しかった。

あのときのことは、一生わすれない。


まずは第一関門突破、こらからは少しずつ体を動かしていくよって、でもまだ寝返りも出来ないんだよね。


数日後起き上がる練習、といっても四人がかりで起こしてもらい、5分座ってるのが限界からの始まり

体にいっぱいいろんなもん刺さってるから大変チュー


生還しても、もとの体になるまでこりゃ相当かかるなあと覚悟した。

その二日後、上の階の様態急変の方がでて、こんな私でももう回復に向かうのみなので、一般病棟へ帰ることに、ところてん方式やね。


今のICUは コロナ重症患者さんで満床、少しでもよくなると、一般の個室に移るらしい。


病気は違えど、ICUはすごいとこだ。

私もあの時、誰かに出てもらって、はいってきたんだね。


続く