あれから
コロナが流行り始めたころ、ちょうど退院になる。あれから一年を振り返る。
帰ったら、緊急事態宣言かでて、次女は学校が休みに、かえってすぐの私には、筋肉が落ちてしまい何をするのものろのろだし、次女がいて、たすかった。
家族みんなにしんぱいかけたけど、次女は私が危ないと言われたことで、かなりメンタルがやられて、不安定にになってしまった。
ごめんね。
二人でまったり過ごすときもあれば、思春期真っ只中なので、バトル日もある。
受験を前に本当にいろんなことかありすぎた。
心がやられると、体もしんどくなる、わかるよ。
内容は違っても、お母さんもかなりメンタルやられることがあって、立ち直れんかった。
もがいてもわかってはもらえない。
そんなとき、どかーんと感染症にやられた。あれを気に、考え方をかえて、家族のために生きようと決意した。
次女には、寄り添いすぎず、手は、放さないよ。流れに任せて頑張っていこうと
幾多の困難を乗りきった。
このフレーズ、入院のときの、担当Mさんにも言ってもらった、その時どん底だったから、支えてもらえて力が出た。
中学校ってこんなにしんどかったかな?自分のときはどうだっただろう。
先生たちも聞く耳はあるし、配慮もある、時代なのか?なんかうまく波にのれず、もがきながらも色々とこなしていく次女が健気でかわいそうなときもあった。
私は、エールを送ったり、時には相談にのり、あの時死んでなくてよかった。とつくづくかんじた。
次女も大変ながらも、支えてくれた人はいた、ミュージカルである、二年に一度ある市民ミュージカル、一年生から60歳まで、幅広いキャストで講演する。
次女は4年生からはまって、私がICUに入ってたとき、その時期たった。
お母さんが死んだら
とくよくよ、めそめそしてたけど、練習は続けた、あの時しんどかったけど、行くと、みんなと練習して辛い気持ちを忘れられた。と話してくれた。
心のよりどころになったね。
中学二年で、大切なときなのに、よくやらせたね
とある人に言われた、でも本人やりたいんやもん。
本人が決めたことやから、私は、応援するもんって思った。
正解でした。
彼女の支えになった、目を輝かせ生き生きと踊る本番をみて、よかった。とおもった。
いなければ、いないでいける日もある、
でも、そばにいてこそ乗りきれたこともある、それをつくづく感じる一年やったな。