皆様、こんにちは。暑さ寒さも彼岸まで。

有限会社 三島石装石材の三島正行です。

ご縁をいただいたお客様に、

感謝の気持ちを込めて

石屋だよりをお届けさせていただきます。

 

今月は「お墓の二つの系統」についてお話します。

参考文献「お墓入門  小畠宏允  石文社」

日本には古代から今日まで、

二つのお墓の系統があります。

中国生まれの墓と、インド生まれの塔です。

不思議な気もしますが、墓と塔は長い間に、

日本人の精神風土の中で独自のお墓となりました。

しかしそれぞれ、生まれ故郷の意味や形を確かにとどめています。

 

墓は三千年以上前に中国で生まれた漢字です。

土と莫(まく)からできています。莫は覆い隠すという意味なので、

墓とは、土で死者を覆い隠す埋葬の地のことです。

 

古代から中国には埋葬の方法がいつくもあって、

それぞれ名称が違います。

 

「設文」(中国の古典)には、

冢(ちょう)は高く盛土した墓とあります。

盛土した墓には塚(つか)「小高い墓」、

墳(ふん)「広くて高い墓」、

丘(きゅう)「度饅頭」、

塋(えい)「かがり火を焚く大きな墓」などあります。

 

特に皇帝のお墓は「山」「陵」「山陵(さんりょう)」と呼ばれました。

 

古代日本も中国文化を取り入れて、お墓を区別しました。

「倭訓栞」(わくんのしおり)には、

平らなるを墓といい、盛土を冢といい、高きを墳という、とあります。

 

また、日本独自のお墓の名称に奥津城(おくつき)があります。

万葉集「三・挽歌」に初めて見えます。

 

今でも神道のお墓の正面は、○○家奥津城となっていますね。

 

インド生まれの塔についてです。

六世紀に日本へ仏教が伝わると、

お寺に塔という、新しいおシャカ様のお墓が建てられました。

 

お墓を意味する塔は古代インド語のストゥーパです。

中国では卒塔婆などの字があてられ

、略して塔婆、塔ともいいます。

 

インドのサンチーの大塔はおシャカ様の立派なお墓です。

仏教を信じる人々にとってストゥーパは

おシャカ様のご遺骨・仏舎利をおさめたお墓であり

供養と礼拝をする大切な場所だったのです。

 

中国とインドで生まれた墓と塔は

先祖のおまつりや供養の意味と共に日本へ伝えられ、

二千年もの歳月の間に、日本独自のお墓になりました。

 

そこにあるのは、

亡くなった肉親やご先祖様に対する優しい日本人の心情です。

永遠の安らぎあるあの世へ往っていただきたい、

と願う気持ちが日本のお墓文化を作ったと思います。

 

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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有限会社 三島石装石材