会うは別れの始まりとか | mj23のブログ

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 この一年間に初めて出会って何度か話をしたりした人って、意外と少ないと思う。このご時世対面で挨拶を交わしたとしてもマスク越しなので街ですれ違っても双方とも気が付かない。更に何度か会って話をするという機会を見つけるのは至難の技だ。具体的に書けば思い当たる人が、もしかしたらいるかもわからない。公園のカモの行進から始まり、中村哲、入管法、選挙、七人の侍、スラムダンクなど。短い時間のうちに交わされたいくつかのトピック。生産者と消費者と単純に割り切れば、そこには会話は最小で済むはずだが、探り探りではあるがお互いの共通の話題を見つけていく作業は余計で無駄なことではある。ただ不思議と記憶に残る。これを喉に引っかかった小骨のよう、と喩えるのだろうか。それは人生の余白に描いた落書きみたいなものだと思う。後で振り返るとなぜ描いたのかは忘れてしまっている。描かせたのは、おそらく、あの時の熱に違いない。度重なる緊急事態宣言、ウィシュマさん、東京2020、ワクチン接種と副反応、衆議院選挙のあの夏の熱量。きっとそうなのだ。

 新しいことに挑戦するとのことで会いに行けばいつでも会える関係はなくなってしまう。でもこれは別れではないような気がする。亡くなった人を想うとき、それは必ず場所とセットだという。人は去っても場所はそこにあり続ける。時として落書きを見て2021年夏に思いを寄せることになるのだろう。それはきっと別れとは違う感覚なのだ。