「ブレードランナー」(1) | 定年後の風景

定年後の風景

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1982年米作品をBS録画観でした。久し振りの映画観でした。暗黒近未来を描いたSF映画の第一級作品でしょう。暗黒宇宙ものでは、「エイリアン」てしょうか。明るく近代的が当たり前の未来SF映画とは、対極を描いた、先駆的作品であり、また、伝説となりました。

 

Wiki読むと、それまで、こう言った画風は無く、リドリー・スコット監督らの、並々ならぬ、注力が窺がえます。今では、このような暗黒未来の方が、普通になってます。もう、明るく輝かしい未来など、誰も描かなくなりました。完全に進歩した、輝かしい未来を描いたのは「2001年」が最後かも知れません。

 

本作は、何度か観てますが、今回久し振りに観返すと、忘れていた感動が、さらに増幅されて、迫ってきます。一時代を画すだけのことが、さすがにありました。雨が降り続く、暗~い夜の雑然とした東洋風の街が、ずっと続きますが、得も言われぬ濃厚な雰囲気に圧倒されます。

 

「エイリアン」のスコット監督、特撮のダグラス・トランブル、意匠のシド・ミードと揃っており、凄いものが出来るのは、想像つきます。さらに、今回、音楽のヴァン・ゲリスのシンセ音楽も、欠かせないことに、気づきます。遺伝子工学で創り出した、生体人造人間レプリカントの、反逆と悲哀を描いてます。

 

(以下、ネタバレします)レプリカントは戦闘員や辺境の開拓者として作られ、人には出来ない、過酷な労働してます。しかし、あまりに高度に作られたため、時間が経つと、感情が芽生え、人類に反逆する個体が出て来ます。今回は、男女4体が人間の乗組員を殺して、宇宙シャトルを奪って、地球に潜入してきます。

 

開発者の博士に会い、安全装置として設定された、4年という短命を解除させるためです。それで、彼らを抹殺する任務を負ったのが、追跡者ブレードランナーのハリソン・フォードです。人間より強いレプリカントに追跡させれば、と思われますが、逆に寝返るかも知れないので、生身の人間が立ち向かうしかないのです。

 

基本的に、レプリカントの方が優れているので、戦いは熾烈で、残虐となります。また、人間とは違う発想で、奇怪な出で立ちと動きが不気味です。生体そのもので出来てるので、心理テストなどして、見つけるのも微妙で難しいです。

 

それで、ハリソンは雑多な街に隠れ住んでいるレプリカント達を見つけ、必死で戦って始末していきます。レプリカントは赤い血が出て、人間と同じで、それがまた残虐です。女も2体居て、容赦なく撃ち殺します。彼らには仲間意識もあり、仲間が殺られると、さらにまた憎悪が増します。

 

そして、彼らのリーダー格のルドガー・ハウアーが、遂に、開発博士に会い、寿命延長を迫りますが、それは原理的に無理で、寿命を精一杯生きろと、言われたので、ハウアーは、博士の両眼に指を突っ込み、両手で頭蓋骨を潰して、博士を殺します。

 

そして、ハリソンが、2人目の女性レプリカントを射殺した所に、ハウアーが戻ってきて、ビルの中や、雨の降る夜の屋上などて、激烈な死闘を展開し、ハウアーは圧倒的に強くて、ハリソンを痛めつけて弄び、殺せましたが、寿命を悟ったハウアーは、ハリソンのとどめは刺さず、「我々は、人類が見たこともない、過酷な宇宙の果てを見てきたのだ」と言い残して、雨に濡れて、そのまま、静かに活動を停止します。

 

人造人間の、これほどの悲哀、悲壮感というのを、見たことがありません。他は忘れても、この場面だけは、忘れることなく残ります。映画の要素のどれを取っても、何一つ欠けるものが無い、名シーンだと思います。ハリソンはこの後、前に博士の所で会って、恋した新型の女性レプリカントのもとに駆けつけ、寿命が終わってないことを、確かめて、二人で逃避行に出掛ける所で、映画が終わってます。

 

彼女も抹殺しないといけなかったのです。実は、その場には既に、警察の同僚が来ていたのですが、見逃してくれてたのでした。良いエンディングです。最初見た版では、この後二人で、飛行自動車で、晴れ渡った世界を爽やかに飛ぶ場面があり、それまでの鬱屈した気分が一気に晴れ渡る清々しさがあって、良かったですが、今回のエンディングもトーンが崩れず、悪くなかったです。

 

いやあ、やはり重厚でした。いつも濃霧が立ち込めたようなトランブルの街のセットが堪りません。ミニチュアに空気の厚み出すためにスモーク入れてると言ってました。いくつか設定に苦しい所あるような気もしますが、雰囲気で圧倒して押し通してるところが却って良いと思ったのでした。