火垂るの墓 | 東京・横浜物語

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「火垂るの墓」の拡大解釈:戦争もしくは本格的な大災害を想定出来ない日本人

 

改めて「火垂るの墓」を観て特殊な感覚を抱いたので書いてみたいと思う。

 

この映画の特徴はかつて大東亜戦争と呼ばれた、

世界史では第二次世界大戦と言われる戦時下の生活を描いた作品だ。

 

昭和時代の終わりに作られたものだが、

令和時代の今になって観ると極めて珍しい、

戦時下における(軍人ではない)市井の人間の行動の選択的特徴が挙げられている。

 

今回、全体的な映画の拡大解釈として、

この作品は戦争もしくは本格的な大災害を全く想定出来ない、

現在の日本人の姿を表していると強く感じた。

 

現在の日本人とは主人公の清太とその妹の節子だ。

 

清太は14歳の今で言う中学生であり、

節子は4歳の今で言う幼稚園児の設定だ。

 

しかし彼らの行動は「令和時代の大人の行動そのものだ」と言う示唆に気付いた。

 

制作者が意図していたかはともかくとして、

明らかに主人公の行動は極めて特徴的であり、

時代背景を考えると異様であり異質である。

 

さて戦後、昭和時代中盤から首都圏に住む者は、

やたらと関東大震災に備えよと言われ続け、

3日分の食料と飲料水を用意しておこうと指示されて来た。

 

それでも備える人は極めて稀であり、

結局のところ東日本大震災と言う広範囲に及ぶ大災害が起こるまで、

備える人など余りいなかった。

 

現在、地震に備えていると言って笑う人はほぼいないどころか、

備えるなんてと言う人の方がバカにされる時代になっていると思う。

 

それほど東日本大震災の脅威は大きかった。

 

けれども、不謹慎な想定で恐縮であるが、

それでも東日本大震災は極めて限定的な災害だった。

 

何故なら、拙速はともかく、救助に行けたからだ。

 

時間はかかっているし未だに立ち直れていない面もあるが、

それでも復興に尽力している実態はある。

 

だが、私達日本人は戦後民主主義の中で生きているため、

戦争とそれと同じ規模の大災害を想定出来ないままだ。

 

歴史的に強固な永世中立で知られるスイス政府が編纂した本に、

「民間防衛」と言うのがある。

 

かつては全スイス国民に配布されたものだ。

 

ここには戦争(特に核戦争)や大規模な災害を想定したマニュアルが記載されている。

 

最低で2週間の食料と飲料水を備えよと明記してあり、

当時は各家庭に核シェルターの設置が義務付けられていたが、

最終的に段階的に3ヶ月、半年先までの備蓄が推奨されていた。

 

ちなみに現在は新築の家での核シェルター設置は義務にはなっていない。

 

理由は公共の核シェルターが完成し、

全国民を保護出来るキャパシティが確保されたからだ。

 

永世中立を標榜するスイスは徹底的な備えと実力でそれを維持している。

 

映画で描かれた清太は早い話、

親の遺産の1000万円くらいを手に入れて、

うるさい事を言う叔母さんの家を飛び出して、

4歳児の妹と一緒に浮浪児の道を選んで行く。

 

色々な「物」を金で揃えるが、

戦時下故、食べ物だけはなかなか手に入らない。

 

叔母さんの家に戻れと諭す大人の意見には耳を貸さず、

自由かつ快適でいる事を選ぶ。

 

最終的に食料に困り、

やり始めるのは野菜泥棒と空襲中の空き巣だ。

 

いい悪いはともかく、戦時下の日本では食料は配給制なので、

いくらお金があっても買えない。

 

結果として盗む以外に方法はない。

 

もちろん戦時下なので盗まれる方も命に関わるため、

情け容赦はしない。

 

この作品では戦後民主主義史観だけでなく、

令和の今の視点でも充分に耐えられる内容を持つ稀有な傑作だと思う。