Playboyの真骨頂:NHK大河ドラマ「光る君へ」の凄まじい恋愛展開 | 東京・横浜物語

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「Playboyの真骨頂:NHK大河ドラマ「光る君へ」の凄まじい恋愛展開」

 

かなり昔から知られている国際的なジョークがあります。

 

この世に有り得ないもの、と言うタイトルだそうです。

 

・アメリカ人の哲学者

 

・ドイツ人のコメディアン

 

・イギリス人の作曲家

 

となっているそうでして、

事実とはもちろん違いますが、

それぞれの国民性を的確に表していて何か笑えるかと思います。

 

実は有難くない事に日本人にもあります。

 

それが「日本人のPlayboy」と言うものです。

 

一般的に私達日本人は非常に真面目なので、

Playboy=ちゃらちゃらしたヤツ=信用出来ないヤツ=ダメなヤツの典型

と言う極めてネガティブな印象を持っているかと思います。

 

しかし欧米社会では必ずしもそうではなく、

昔何かで読んだのですが、

例えて言うならば007のジェームズ・ボンドみたいな男なのだそうです。

 

明るくて教養があってモテまくるヤツ。

 

日本においてモテる男とは必ずしも饒舌である必要はなく、

むしろ高倉健的男がカッコいいとされています。

 

欧米社会でもそのようなタイプはもちろんいますが、

1つハッキリ分かるのは、

我が日本の社会においては、

ジェームズ・ボンド的なる男は滅多にいないと言う現実です。

 

それもそのはず、私達日本人は、特に男性は、

幼い頃からチャラチャラしていると叱られるからです。

 

「男は黙って」を良しとされています。

 

従って、恐いまでのコミュニケーション障害を抱えた男が大量生産されてしまいます。

 

社会全体がそうなので実は私達日本人は外国人と接するまで分かりません。

 

そもそも外国人と積極的に接したいと思っている日本人は想像以上に少ないため、

気付けないまま過ごしています。

 

そんなバカな!!と怒る人も多いでしょう。

 

でもこんな会話をしているお母さんの話はよく聞くかと思います。

 

「うちの子、思春期でさー、帰って来ても飯、風呂、寝るしか言わないのよ。

 扱い辛くて困っちゃうわ」

 

「あーうちもそうそう。旦那と同じで困っちゃうわよねー

 どこも同じねー」

 

↑この会話。普通にどこでもされているかと。

 

もちろん例外は多々あるにせよ、簡単に想像出来るかと思います。

 

余り知られていませんが、

ホームステイを斡旋する仕事をしている女性が本を書いています。

 

その中で「日本人男子を受け入れた家庭からは、物凄いクレームが入り、

今後、日本人男子は受けれないとまで言われるケースが多発している」

と書いてありました。

 

理由は上記の母親同士の会話を見れば一目瞭然かと。

 

恐いまでのコミュニケーション障害が黙認されている現実。

 

従って、NHK大河ドラマ「光る君へ」への今回の展開はかなりショッキングなものだったかと。

 

主人公の「まひろ(紫式部)」は既に既婚者ながら、

久しぶりに出会った藤原道長(もちろん既婚者。2人の妻がいる)と、

再び燃えてしまい、何と妊娠してしまいます。

 

まひろの夫は藤原宣孝で、これは平安時代にいた数少ないPlayboyの典型です。

 

派手好きで、史実としても枕草子に、お参りにド派手な格好で訪れて話題になった、

との記述まで残っているそうです。

 

あちらこちらに愛人がいて、まあ当時の社会生活とすれば一夫一婦制ではないため、

迂闊に非難は出来ませんが、

それでもかなりなPlayboyではあったようです。

 

ドラマでは、まひろと結婚する時、

他に思う人がいると言われても「構わぬ!!」と即座に断言して結婚をします。

 

夫婦生活では喧嘩もあり、しばらく会わないでいたけど、

久しぶりに会って仲直りした時、

厄介な事に藤原道長の子供がお腹の中にいた、と。

 

そうして罪悪感に苛まれたまひろは離婚を切り出したのですが、

宣孝はそんな事はもちろんお見通しで、

結婚する時に構わぬと言った事は、

こう言う事態を含めてそうなのだと言い切り、

離婚はしないと断言。

 

ここまでの男は洋の東西を問わず滅多にいないかと。

 

以前NHK朝のドラマ「華子とアン」で吉田鋼太郎が演じた九州の大富豪もそんな感じでした。

 

それまでほぼ無名だった吉田鋼太郎が一気にスターになったほどの名演技を披露してくれました。

 

吉田鋼太郎が演じたのはPlayboyではない無骨な九州男児役でしたが、

根本的な所での度量の大きさを魅せたのが素晴らしかったと思います。

 

今回の大河での演技では清濁併せ吞む感覚に凄味があったと強く感じました。

 

単純な度量の大きさだけではなく、

道長の子となれば、今後もそう簡単に自分を邪険に出来ないだろうと言う読みまで演技して来ました。

 

汚いと言えば汚いです。

 

しかしそれも含めて自分の防衛と妻の防衛と家の防衛まで一気にして安泰化させる手法。


子を大事に育てるのだと言う決意と利害関係と度量と。

 

今回のドラマの描き方はハンパないと思うのであります。

 

個人的には道長の子の彰子の今後も大変興味深いです。

 

まだ幼いボケーッとした感じですが、

変わるのか、変わらないのか。

 

あるいは根本的な所は変わらないまま進化するのか。

 

紫式部の今後の彰子への教育と併せて、

史実を知るけれどドキドキします。