小泉八雲の富士登山 | 東京・横浜物語

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西麻布に生まれ育ち、現在は横浜に居住する筆者が、
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「小泉八雲の富士登山」

 

娘がリンクを貼った記事を送って来た。

 

明治時代の文豪として知られる小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が富士山に登った記録だ。

 

産経の記事らしいが、

AIのBardで調べたところ、

1897年(明治30年)8月24日だと言う。

 

ルートは当時一般的だった富士登山表口ルートで、吉田口だと言うのだが、

表口は現在では富士宮ルートを言うので、

真偽のほどは分からない。

 

産経の記事では「一番楽な道」と書いてあるらしいが、

途中まで馬や人力車を使うも八合目で「疲労で口もきけない」と弱音を吐き、

「10億ドルもらっても、今日はこれ以上一歩も進むものか」と音を上げたと言う。

 

で、記事はそこまでだったので、

登頂出来たのか?と気になり前述したようにAIで調べた訳なのだが。

 

残念ながらAI回答では悪天候と高山病のため登頂出来なかったらしい。

 

ただし、同じAIで別の書き方で質問したら出来たとの回答もあり、

これまた真偽のほどは定かではない。

 

随筆「富士山」を読むしかなさそうだが、

あいにくそこまでの元気は今はない。(笑)

 

悪玉コレステロールの殲滅と自分の富士登山体力再構築で忙し過ぎる。

 

(^。^;


写真は富士山富士宮ルート五合目にある、

初めて富士山に登頂した外国人、

サー・ラザフォード・オールコックの記念碑。