「おひつ」と男女平等問題の思わぬ炎上について
テレビでご飯についての番組がやっていた。
「おひつ」と言う非常に珍しい昭和語が出て来たので、
思わず見入っていたら娘が思わぬ事を言い出して非常に驚いた。
もう「おひつ」は滅多に見られない。
あるとしたら老舗の旅館くらいだ。
そのような旅館で時折炎上事件が発生すると言う。
「旅館では『おひつ』を女性の近くに置く」のが男女平等論者には気に入らないらしく、
文句を言うらしい。
何故、ご飯を盛るのが女性の仕事なのか、と。
う~ん、なるほど、そこを突いて来たかと苦笑した。
では男性の側におけばいいのか?と言うと、
それは逆差別になるのが同権論者には分からない。
と言うよりも些細な問題を追及して、
楽しい旅行を台無しにしたい思惑すら透けて見える。
自分の思想のためなら何でもあり姿勢。
最近では「美白」と言う表現もダメらしい。
何故白いのが美しいと言うのか、と。
黒人差別だ、と。
一見些細なようで実は根深い差別問題が潜んでいるとして、
警告をして来るらしい。
この問題は日本の文化、歴史、伝統、習慣、価値観等々、
様々な問題が絡んで来るので、
一概にいいとか悪いとかは言えないが、
1つはっきり言えるのは「おひつはどこかには置かないといけない」だ。
前述したように男性の方に必ず置くようにしたら、
それは逆差別となる。
現在の女性は正直、かなり被害者意識が強く、
もちろん痴漢やら性被害は確かにそうなのだが、
日常生活の習慣についてはむしろ加害者になるケースが多く、
その種の主張者は自分の主張のためにその場の雰囲気をぶち壊しにしても恥じ入る事がない。
むしろ正義なんだからと絶対に曲げないで強要して来る。
分かり易い例を挙げておくと、
以前、東京大学の入学式で、
女権論者の教授が、
「何故東京大学の女子学生は合コンの時に東京大学とは言わずに東京の大学と言うのか考えなさい」
と言い放ち物議を醸し出した。
これ、女性は未だに被害者面しかしない典型的な意見だ。
バブル時代、女性達は結婚するなら「3高」と言い放ち、
高学歴、高収入、高身長の男以外とは付き合わないと宣言した。
こう言うと全員じゃないと言う反論が必ず来るが、
かなりの大多数と考えないと異常な超少子高齢化社会の説明はつかない。
つまり女性達が「高学歴」に非常に拘って、
男を選別して来た歴史がある。
だが、自分がその学歴社会の頂点に立った途端、
散々自分が差別しておきながら、
今度は差別されるのがけしからんとヌケヌケと言い放って来る。
この辺の考え方は異常だと言っていい。
どこまでもどこまでも被害者意識。
そうして非常に攻撃的に振る舞う。
ちなみにこの問題は、
ヨーロッパと比較した時、一気に見えて来る。
昔、友人が超都心と言う珍しい場所に住んでいたため、
ヨーロッパの女性と若い頃に付き合っていた。
これは私などの周囲の友人達に大変な影響を与えた。
それまで中高時代においては、
当然周囲は黒髪の日本人女性しかいなかったのだが、
いきなり直近に金髪青目の女性が登場したのである。
それまで知っていた日本人女性とは別の生き物に見えた。
ヨーロッパ社会においては、
食事を取り分けたりお酒の用意をするのは男性の仕事であり、
女性がやった場合、かなり驚かれる。
これは習慣であり歴史であり伝統だ。
おそらく中世は違っていただろうが、
かなり昔からレディファーストはあった。
ではコレは逆差別ではないのだろうか???
現在のこの種の運動のおかしさは、
性差を認めずに、やたらと平等を推し進めるだけでなく、
同質であると強要して来るように思える。
LGBT問題で自分を女性だと言えば女性になるとして女湯に入り込んで来た男が問題になっていた。
この逆が問題になったとは聞いた例が無い。
この種の問題を突き詰めて行くと、
異常にギスギスした社会となり、
しかも当の女性自身にとって非常に住みづらい世の中になってしまう。
性差を認めない同質論は非常に危険であると思う。
「おひつ」問題。
いちいち目くじらを立てて食事を不味くさせる方がどうかしている。
気に入らないならスッと連れの男性に渡せばいいだけ。
ヨーロッパ風に。
日本には日本の習慣があり、
ヨーロッパにはヨーロッパの習慣があるだけ。
おひつは真ん中に置こうと義務化すべき問題なのか?
何故運んで来てくれた人を啓蒙しようとするのか理解出来ない。
傲慢の典型例だ。
非常に攻撃的な姿勢が顕著に見られる。
醜悪さすら感じる。
しかしながら現在はホワイト社会化していると言う。
法律だけでなく道徳や倫理的にも正しい振る舞いが求められる社会に向かっているとか。
いずれ「おひつは真ん中に置かないと罰金50万円」なんて法律が出来るのかも知れない。