「日本アルプス」「日本アルプス再訪」ウォルター・ウェストン
平凡社ライブラリー
江戸時代末期に日本に押し寄せて来た欧米列強。
現代に至るまで欧米とは色々あるが、
面白い娯楽も教えてくれた。
その中の1つに現在のスポーツ登山がある。
それまでは宗教的な修行でしかなかった登山だったが、
欧米人達はまさかの楽しみとして山に登ると言う理解不能な行動を見せ付けて来た訳だ。
とは言え明治時代初期頃は鉄道を敷く段階であり、
近代登山体制など構築されていなかった。
ウェストンが活躍した明治時代後期から大正時代は、
ようやく鉄道網も出来つつあり、
日本アルプスへのアプローチもまだまだ大変ながらも可能となっていたようだ。
この本には当時の日本の状況だけでなく、
日本人がどのように外国人に振る舞うのかも良く分かり大変興味深い。
今でも確実に受け継がれている美徳もあるが、
悪癖もある。
全体的にかなり好意的に描かれているも、
思わず苦笑してしまう日本人特有の行動パターンもある。
特に日本人の宴会。
昔の宿屋でもどんちゃん騒ぎをしていたとは。(苦笑)
疲れて寝ようとしても平気で隣の部屋で夜中まで続けられる飲酒とバカ騒ぎにはさすがのウェストンもお手上げ状態だったようだ。
日本人の酒癖の悪さは令和時代の現代までしっかりとアルコールハラスメントなる言葉で継承されている。(笑)
しっかしまあ、ウェストン。
明治時代に富士山にも槍ヶ岳にも穂高岳にも登っていたとは。
富士山には今の五合目からとは違ってもちろん麓から登っているが、
7時間くらいで登り、3時間半?くらいで下りて来ているようだ。
ちなみに私の足は凄く遅く、五合目からは吉田ルートでも富士宮ルートでも八合目までで5時間強、八合目から頂上で3〜4時間かかっている。
頂上から五合目までは4〜5時間かかった。
ウェストンの速いこと速いこと。
ちなみに1913年(大正2年)にはウェストン夫人が女性初の槍ヶ岳初登頂に成功している。
そうして現代の日本の登山界においても、
富士山と北アルプスこそが代表的な登山となっていて人気が絶えない。
この功績はもちろんウォルター・ウェストンのお陰であり、
ウェストン碑は今でも北アルプス登山の本拠地である上高地にある。
そしてウェストンが絶賛した登山ガイドの先駆者である上條嘉門次は令和時代の今でも上高地に「嘉門次小屋」として子孫が受け継いで営業している。
本場ヨーロッパの登山にも憧れるが、
なかなかどうして日本の登山も実に面白い。
しかしその面白さの根源は実はウェストンによりもたらされた。
ここは素直に敬意を表するべきであるかと思う。
高尾山や丹沢や富士山に登り、
実に楽しいと思うこの感覚はウォルター・ウェストンにより教えられたものなのだ、と。
そうして私はこの事を踏まえた上で、
上高地に行きたくなっている。
北アルプスこそが日本登山の殿堂である、と。
ヨーロッパの香りが強く漂う北アルプス。
いざ、上高地へ、と。
まあ、その前にインフルエンザからのリハビリをして、
フルマラソン能力の再確認、
丹沢主稜縦走、
富士山須走ルートと砂走り、
富士山御殿場ルートと大砂走りをキメなくてはならない。
その後はいよいよ北アをヤる。
中房温泉から合戦尾根を登り、
燕岳、大天井岳、西岳、槍ヶ岳の表銀座縦走コースで最後は上高地に下りて行くルートだ。
近代日本登山の象徴、いざ北アルプスへ。
終わり