年輩の男が若い女性に教えるスタイルはもう通用しない時代 | 東京・横浜物語

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西麻布に生まれ育ち、現在は横浜に居住する筆者が、
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「年輩の男が若い女性に教えるスタイルはもう通用しない時代」

 

テレビで「にっぽん百低山」を見ていたら、

ふと気付いた。

 

この番組は面白いのだけれど、

基本的な事が何か違う、と。

 

もっと言うと、この令和時代においては、

おそらく吉田類さんだからこそ成立しているのでは、とも。

 

この感覚が何なのかと言うと、

現在の私の家の日常において、

母、私、娘がいて何かの話題になった時、

間違いなく最も知識を有しているのが娘だからだ。

 

記憶力がいいとか、より多くを経験している、と言う意味ではなく、

あくまでも「知識」だ。

 

結論から言うと現代は年輩者よりも若い世代の方が遥かに高度な「知識」を有している、あるいは備えている、と言うものだ。


その理由はもちろんスマホの存在にある。

 

今の私は、登山情報ですら娘から教えてもらう方が多い。

 

それほどスマホを使いこなしている者の実力はハンパない。

 

テレビ番組のスタイルは吉田類さんが若い女性と一緒に登山をするものだ。

 

その道中において山の歴史や植物についても語り、

同行の女性が感心し、最後はお決まりの地元のお店でちょいと一杯と言う趣向になっている。

 

これはNHK「ブラタモリ」も同じと言える。

 

年輩のタモリさんが女性アナウンサーと共に色々な街を歩く過程において、

様々な蘊蓄を披露するものだ。

 

どちらも番組そのものはとても面白い。

 

しかしながら、このようなスタイルは聞くところによると、

ある種のステレオタイプどころか、

ジェンダーフリーの考えでは良くない事としているらしい。

 

当記事においては、その良し悪しを問うものではない。

 

実のところ、男性の年輩者が若い女性に蘊蓄を語って「へぇ~」だとか「すごい」を連発させる、

この種のスタイルはもう平成時代の終わり頃から全く通用しなくなっているのでは?と言う事になる。

 

もっと言うと、現在の年輩の男が持っている「(あくまでも)知識」は大した事がない、となる。

 

極端な例を挙げると、

ちょっと前にキャンプにおいて、

若い女性のソロキャンパーにしつこく中年の男が絡んで警察沙汰になった話が炎上していた。

 

この内容を精査してみると、

この男は自分はベテランキャンパーであり、

オレ様は凄いと思い込んでいて、

若い女性キャンパーとLINE交換したり、SNSも見に来て欲しいような言動があった。

 

そうしてくれるのも当然だと言う思い込みも。

 

もちろん女性は非常に激しく拒絶するのだがどこ吹く風でとうとう警察沙汰に、と。

 

ここで問題にしたいのは、

中年男キャンパーのレベルや知識と言うものは、

現代のキャンプシーンにおいては人に自慢出来るような要素は全く何1つない、と言う事になる。

 

中年男がしていたようなキャンプ情報は今やスマホ一発で簡単に手に入るのである。

 

そんなに実力がありサイト自慢が出来ると言うなら、

キャンプ場で自然に人が寄って来る。

 

それがないならわざわざ他人の、まして若い女性とコミュニケーションが取れるようなレベルには無い、

と言う冷徹な現実。

 

そこが年輩の男には分からない。

 

過去の栄光(だと思い込んでいる)に浸り、自分は凄いのだと上から目線で語って来るだけ。

 

実はレベルは相当低い。


さらにその行動は異様な臭気を発散しているが、

コミュニケーション能力の欠如により気付けない。


結果的に警察沙汰に、と。

 

キャンプの世界もかつてとは全然違っている。

 

もちろんその理由はここ10数年くらいで急速に普及したスマホと、

それを支える様々なアプリやサイトの存在だ。

 

知識の差が旧態依然の人とは比較にならないほど開いてしまっている。

 

何年か前、寄席で高齢の落語家が語っていた。

 

「楽屋でオレと同じ年寄りの落語家同士で、

 〇×について、何だったっけ?あれは?と、

 あーでもない、こーでもない、と言っていたら、

 若い前座がやって来て『師匠、それは△□で◇〇なんですよ』と、

 スマホとか言う箱を見せてきやがった。

 オレらはあーでもない、こーでもない、と楽しんでいたのに、

 アレはその楽しみを一瞬で奪ってしまう!!」と。(笑)

 

もちろん今でも「経験」に関する事は圧倒的に年輩者が有利なのは言うまでもない。

 

しかしながら「知識」に関する事は間違いなくスマホを使いこなせている者こそが一番凄いのは言うまでもない。

 

昭和時代までは年輩者が蓄積した「記憶=知識」こそが大切だったが、

今はまるで違う。

 

「記憶=知識」とはネット上に存在しているもの、となる。

 

昭和時代の受験みたいに、

凄まじい数の暗記をするよりは、

スマホで検索すれば何でも一発で分かってしまう。

 

知識と言うものは知らなければそれまでの話なので、

あれこれ想像したり考えたりしても分かるようには決してならない。

 

今の時代は検索一発。

 

昭和時代においては、

例えば夏目漱石の作品で思い出せないのがあった場合、

どのように探していたのかと言うと、

詳細文学史みたいな本が必要で、

その中から夏目漱石の部分を開いて、作品全集一覧みたいな箇所で、

作品名とあらすじを読みながらチェックして探すしか方法はなかった。

 

今はスマホ一発でほぼ瞬間的に分かってしまう。

 

検索画面に「夏目漱石」「作品」「〇×が△◇した内容」みたいなのを入れたら直ぐに出て来る。

 

昔みたいに余計な手間暇はかからず凄く便利になっている。

 

キャンプ情報も、登山情報も、他日常生活全てに渡って、

凄まじい数の知識や経験談すらもがネット上にはあり、

かつての百科事典すら問題にならないくらいの知識の集大成、

と言うより人類の英知の結晶があると言った方がいいと思う。

 

とんでもない時代になっている。

 

だが、年輩者はそこが分からない。

 

終わり

 

余談:

娘は今年のWBCを見てから野球好きになった。

スマホを使いこなす者が凝った場合、何がどうなるのか?

昭和時代の野球通などアッと言う間に置き去りにするほど凄い事態になる。

まあ最初にプロ野球名鑑を買ったり、

贔屓チームのグッズを買ったりするのは同じだ。

だが、スマホからアッと言う間にファンクラブに入会し、

安価での球場観戦も始まる。

その内容はスマホのアプリを使って、常時リアルタイムで更新される、

得点やBSOだけでなく、選手の細かい情報をチェックしながら、

同時に他球団の試合も併せて見て、贔屓チームがどのように勝ったらいいのか、

戦略的展開まで予想したりする。

もっと言うと日本のプロ野球情報だけでなく二軍、アメリカの大リーグ、

高校野球、大学野球、独立リーグまで同時にリアルタイムの情報が取得出来る。

昭和時代には想像すら出来なかった世界が展開している。

先日、娘に連れられて横浜球場で観戦していた時のこと。

娘が「京田」がいいと当然私が全く知らない選手の名前を言ったところ、

隣にいたどう考えても凄いマニアな男が、

「いいっすよね~♪♪オレも好きなんすよ~」と盛り上がる。(笑)

僅か半年ちょっとで昭和時代の野球マニアを軽く凌駕するのがスマホ時代の凄みだと思う。

はっきり言って、かなりな野球好きだった亡き父を軽く凌いでいる。

 

余談2:

以前にも書いたが大切な事なので再度。

大人気の登山YouTuber麻莉亜さんが、

冬の八ヶ岳で年輩の男性が道迷い遭難をしたニュースに接した時、

「どうして迷うかな?登山アプリを使ってないのかな?」と発言していたが、

しかり。

登山アプリを適切に使えていたら、

かつての遭難のような迷ってから焦ってガンガン進んで進退きわまる、

など先ずあり得ない。

その前に「予め設定した正規のルートから30mくらい外れたら警告音が鳴る」。

この段階でもし修正しなかったら人間の方に問題があり過ぎる。

ただし使いこなすのは直ぐには無理でアプリにはクセがある。

想像以上に使えてない人は多いと思う登山アプリだが、

これが使えるのか使えないのかで登山シーンは全然違って来る。

それが令和の登山なのである。