「失われた歴史の音楽に何を聴くのか?」
ブランデンブルク協奏曲 第4番 BWV1049
第3楽章 Presto 2/2拍子 ト長調
4声のフーガ 通奏低音
18歳くらいの頃、バッハの音楽を非常に好むようになり、
人生もとっくに終盤戦に突入しているが、
これだけは18歳の頃と何一つ変わってなどいない。
一体何故この古い異国の音楽を異常に好んでいて、
何十年が経過しようとも全く変わらないでいられるのか?
ケーテン時代 (1717年〜1723年)。
バッハの最高傑作群はたった5年ほどのこの時代に生み出されている。
中でもブランデンブルク協奏曲は非常に有名であり、
現代でも盛んに演奏されている。
しかしこの時代を代表する作曲技法であるフーガや通奏低音は既に失われている。
ケーテン時代とは日本だと享保の改革が始まり、
大岡越前守が江戸町奉行に就いた頃だ。
現代の音楽とはかなり違う。
どこがどう違うのかと言うと、
旋律が1つではない事と、不思議な即興和音があるのに象徴される。
それがフーガと通奏低音と言う訳だ。
このお陰で酷く複雑な構成をしている。
そこに何を聴くのか?
おそらく人によってまるで違うようにも思う。
退屈だと言う人もいる。
訳が分からないと言う人もいる。
神の声を聴くと言う人もいる。
だが達成動機が極めて強い私的には他人の評価は何の意味も持たない。
ただただ好きなのか?嫌いなのか?
好きならば聴き続ければいいだけ。
飽きたら聴かなければいいだけ。
ただそれだけの事。
それが何十年も続いているだけであり、
それが私の日常であり、
何の不思議も特にない。
強いて言うなら音楽鑑賞の方法だけは随分と変わり便利になったとは思う。
しかし聴く音楽に何の変わりもない。
古典鑑賞の世界は、能も歌舞伎も文楽も落語もバロック音楽も自分には当たり前過ぎて極めて普通なものだ。
そう、極めて普通。
しかし何故か退屈は全く感じない。


