鎌倉殿の13人以降の北条氏はどうなったのか? | 東京・横浜物語

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「鎌倉殿の13人以降の北条氏はどうなったのか?」

最近は筋トレ中、色々な動画を見ながらしているが、
昨夜は鎌倉殿の13人以降の鎌倉幕府がどうなったのか?の解説を見た。

まあ、大抵の方は私と同様、
そう言えば日本史でやったよな程度だと思うが(笑)、
改めて見ると、日本史上最大級に恐ろしい一大事に襲われるのである。

それが8代執権時宗の時だ。

元寇。

最大の国難を、最新の研究では神風は吹かなかった説が有力であり、
つまり自らの力で撃退した訳だ。

個人的には日本史最大の面白さは、
元寇と日本海海戦にあると思っている。

スカーーーーーッとするかと。(笑)

だが元寇以降、急速に鎌倉幕府は衰退し、
歴史の必然でもあるが滅亡して行く。

しかし泰時が作り上げた御成敗式目はその後の歴史においても受け継がれて行くのは大変興味深い。