ワールドカップサッカー、日本クロアチア戦を観て | 東京・横浜物語

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「ワールドカップサッカー、日本クロアチア戦を観て」


そもそも今回のワールドカップサッカーが始まる前。


もし「日本は一次リーグでドイツにもスペインにも勝てる。冷静に分析したら云々」と発言した人がいたら何と言われていただろうか?


明らかに身贔屓が酷過ぎる愚か者と言われたはずだ。


もちろんファンとしては期待するが、

普通にまともな理性を持った人ならば、

分が悪過ぎると思って当たり前。


だが蓋を開けてみたら想像以上に素晴らしい活躍をした。


戦争に喩えるのは非常に不謹慎で憚れるも、

一番分かり易いので結論から敢えて言うが、

今の日本のサッカーは明治時代、

欧米列強の侵攻に苦しみながらも頑張って、

日露戦争にようやく勝利したくらいの発展途上にある、

と考えるべきだ。


明治時代、圧倒的な力を見せ付けて進出を開始した欧米に対し、

日本は文明開花と欧化政策をもって対抗した。


要するに恥も外聞も捨てて真似して追い付くのだ、と。


さて昔、代々木ゼミナールの日本史の先生が授業中に怒っていた。


エジプトのサダト大統領が暗殺された翌日、

どの新聞の一面もプロ野球報道だったことに。


「小さな小山の大将の取り合い如きを」

と表現して、先生は政治的大事件よりもスポーツを優先させる報道姿勢に激怒されていた。


私がその時に引っ掛かったのは政治云々ではなく、

「小さな小山の大将」と言う表現だった。


良くも悪くも当時の日本人が興じるスポーツは野球か相撲で、

サッカー、ラグビー、バスケット、バレーはそこそこ人気はあるが、

基本的にプロが存在しない世界だった。


そして当時、そのプロ野球が最終的に目指していたのは日本シリーズの優勝、

つまり国内にしか目がいってない状況だった。


アメリカに大リーグがあるも、

日本の専門家は想像でアッチは凄いだの、

いや日本一番と根拠のない妄想をさも現実のように語るだけだった。


その後、大リーグに行く選手が徐々に増えて、

それが今の大谷選手の活躍に繋がっている。


しかしその大リーグも最終的にはアメリカ国内でのナンバーワン決定戦で優勝を目指す極めて内向的なスポーツになっている。


つまり、非常に残念ながら、

私達日本人が大好きな野球とは、

世界の視点で眺めた時、

最近になってからようやくオリンピックの公式種目に選ばれたほど「マイナーなスポーツ」であるのを自覚すべきであろう。


もちろん野球は野球で面白いのは否定しないし、

私とて小学生の頃は近所の野原で野球をするのが楽しみの一つだった。


だが野球は世界言語ではない。


これまた良くも悪くも世界の共通言語はサッカーだ。


そしてサッカーが最終的に目指しているのはワールドカップと言う世界の檜舞台となる。


我が日本では、Jリーグが出来たのが1991年で、

30年ちょっとの歴史しか持っていない。


しかし当時から言われていたのが、

ヨーロッパと同様の各地域にクラブチームを作って競わせ、

取り敢えず国内優勝を目指すも、いずれワールドカップサッカーに出るのを目的としていた。


そのため外国人選手や外国人監督を普通に入れて活躍させていた。


ワールドカップの日本代表監督も当時は外国人だった。


それでも最初はなかなか勝てないでいたし、

そもそも出場しても実力の差は歴然であり、

しかもそんなに遠い昔の話ではない。


だが近年、日本人選手が競うようにヨーロッパのチームに所属して活躍するようになっている。


今回のワールドカップではほとんどの選手がそうだったように見えた。


従ってかつてとは全く違うレベルに到達していた。


明治維新後の日本を見ているような気持ちにさせられた。


井の中の蛙では勝てる訳ないだろう?、と言う強烈な姿勢とリアルな行動と。


そうして第一次リーグと言う小競り合いの中で、

ドイツとスペインに勝利した快挙。


クロアチアはさすがに強かったが、

不様な負け方ではなかった。


今後、どうなるのかは分からないが、

少なくとも日本人選手がヨーロッパで活躍しようとしている限り、

どんどん向上すると思う。


今までとは全く違うレベルになっているが、

それはまだまだ発展途上でもある。


僅か30年でここまで来たとはまるで明治時代の日本。


ここから先は第一次世界大戦と第二次世界大戦が待っている。


世界の檜舞台での戦い。


罷り間違っても第二次大戦の愚を犯してはならないが、

発展途上にあるのを理解しながらも研鑽を続けていれば必ず再びチャンスは来る。


今回は非常に大きな一歩だったと思う。


終わり


余談:

20代のほとんどをイギリスで暮らした妹は言う。

「アイツらはサッカーの話になると途端に理性が飛ぶ。

 凝り方が日本人の野球とはまるで違う。

 暴動も起こすし。

 賭けもするし。

 本気度がまるで違う。」と。

そんな連中を相手にヤツらの本場でスポーツで伍して行くのは生半可な事では無理だ。

だからこそヤツらの地元に入り込んで活躍する意味は非常に大きい。