永谷園のお茶漬けと歌川広重と昭和時代 | 東京・横浜物語

東京・横浜物語

西麻布に生まれ育ち、現在は横浜に居住する筆者が、
色々語って行くブログです。

#ダイエット#筋トレ#ランニング#登山#富士登山#クラシック音楽#美術館#能#マラソン#ジム#横浜#東京#バッハ#アート#フィットネス#山登り#トレッキング#クライミング#ボルダリング

「永谷園のお茶漬けと歌川広重と昭和時代」


永谷園のお茶漬けを買ったら懐かしいオマケがついていた。


歌川広重の東海道五拾三次のカード。


ずっとなの?と思って調べてみたらネットに、

《1965 年(昭和40 年)から1997 年(平成9 年)までの約30 年間》

続いていたが、一旦終了したとの記述を見つけた。


それが2016年に約20年ぶりに復活して今に至っているようだ。


そしてさらに思った。


そもそも昔は安藤広重と言ってなかったか?、と。


もちろん調べた。


浮世絵で有名な原宿の太田記念美術館のサイトに、

《昭和57~59年(1982~84)を境に、「安藤広重」から「歌川広重」の方へと主たる呼び方が変わったのです。》

との記述があった。


元々広重は安藤姓ではあるが、

絵師として安藤広重を名乗った事は一度もないため、

教科書の記述が上記の頃に変わって行ったそうだ。


私の場合、コロナ禍前の激しい美術館通いのお陰で歌川広重の記述に違和感は全くないが、

同世代の非美術趣味の人は絶対に「えっ!?誰それ?感」があるかと。


このオマケもまた昭和の遺産だったか。


(^ν^)