LGBTと江戸時代と中村仲蔵と | 東京・横浜物語

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「LGBTと江戸時代と中村仲蔵と」

 

NHKで12月らしく気合いの入ったドラマを2週連続で仕掛けて来た。

 

土曜日に「忠臣蔵狂詩曲No.5 中村仲蔵 出世階段」の前編が放映された。

 

さすがにNHK、俳優陣もハンパない名優を惜しげもなく投入して来た。

 

さて、実に面白かったのはアタック25の司会でも好青年ぶりを見せ付けていた谷原章介氏の演技だった。

 

現代で言うところのLGBT。

 

大金持ちの旦那で、好青年でもあるが、しかし同性愛者と言う役。

 

それがまだ売れない頃の中村仲蔵に目をつけてパトロンになるのだが。

 

酒席で仲蔵に舞いを所望する場面があるのだが、

一発でその気のある雰囲気を醸し出して来た。

 

目つきがアタック25の時とはまるで違っていた。(笑)

 

そして仲蔵は運命に逆らえる訳もなく・・・・・

 

さて、私達現代人は、歌舞伎役者だとか、

もっと言うとヨーロッパのバレリーナを想像した場合、

現代の価値観で考えて来てしまう。

 

つまり立派な伝統芸能であり、

そのトップは当時から凄い人気があったスターなのである、と。

 

確かにそれは一面では正しいのだが、

分かり易い例で考えてみると、

ドガの名画で「エトワール」がある。

 

バレエの踊り子の絵として最も有名であり、

華やかな作品でもある。

 

だが、実際に絵画展に行き、この絵の解説を聞いたり、

あるいは本で読んだりした場合、

この時代の踊り子の地位と言うのがかなり低いのが分かる。

 

現代の感覚で言うならば、

「性の売り買いの対象になっていた」と言ってもいい。

 

実際に踊り子の母親達は娘のために必死になって「良いパトロン」を探していた、

と言う美術展での解説を聞いた事もある。

 

そしてアップした絵画「エトワール」。

 

この絵の後方には黒い服を着た男の姿が見える。

 

誰なのか???、と。

 

そういうこの時代の背景を考えると絵の持つ意味がガラリと変わって来たりするから面白い。

 

さて、歌舞伎。

 

現代では世界的に有名な日本の伝統芸能の代表であり、

人間国宝も多くいる確固とした地位が既に確立されている世界だ。

 

だが、当時は全く違っていた。

 

江戸時代初期、出雲の阿国が始めたとされる歌舞伎。

 

江戸に出て来た阿国は大成功するも、

敏感に江戸のヤバさを察知し、江戸から逃げ出す。

 

その直感は大当たりし、幕府は歌舞伎を取り締まった。

 

一説によると数百人単位で歌舞伎役者が殺されたのでは?と何かの本で読んだ記憶もある。

 

いずれにしても当時の歌舞伎を現代の感覚で語るならば、

違法ドラッグをギンギンにキメながらヤるパンクロッカーよりも危ない連中と考えた方がいい。

(先進国では少なくともロックをドラッグをやりながら過激に演奏しても死刑にはならない。だが江戸時代はあっさり殺された)

 

大スターであっても身分はかなり低かったらしい。

 

従って、売れない役者に至っては「お金持ち達による性の売り買いの対象」にすらなっていた、と。

 

実際に中村仲蔵にもその記録があり、

それをドラマでは忠実に再現して来た訳だ。

 

さらに驚くべき事に、当時の日本においては男色は普通だった点にある。

 

現代のようにタブー視されていなかったと考えられる。

 

これは歌舞伎の歴史で普通に語られているのだが、

そもそも歌舞伎は出雲の阿国と言う「男装した女性が踊る」と言う奇抜なものであり、

それは売買春と密接に関係があった世界だ。

 

つまり当初、歌舞伎とは、その種のお店が若い女性に踊らせて、

お店のPRと「商売」も兼ねていた、と。

 

だからこそ女性の演じる歌舞伎は風紀を乱すとして、幕府が取り締まった後、

今度は若い男に踊らせる「若衆歌舞伎」になる。

 

当時から若い男を買う習慣が江戸時代にはあったのがここで分かる。

 

あくまでもこの点においては随分とおおらかと言えばおおらかだったとも思う。

 

そうして若衆歌舞伎も禁止され、成人男性だけで演じられる野郎歌舞伎だけが許されて、

それが現代に至っていると言う訳だ。

 

ちなみに伝統芸能の中の伝統芸能、能の世界でもそういうのがあり、

世阿弥は若かりし頃、時の将軍、足利義満の寵愛を受けていたのは有名な話でもある。

 

日本は元々同性愛にはかなり寛容だったと考えられる。

 

では仲蔵はそっち系だったのかと言うと、

ドラマではそうではないように描かれていた。

 

実際にその後、女性と結婚した記録も残っている。

 

その妻役が上白石萌音で、

三味線の名手でしっかり者のイメージを見事に演じていた。

 

そしてつくづく思った。

 

周囲の環境で随分と人の受けるダメージは違って来るのだ、と。

 

令和時代は昭和時代とは違い、LGBT問題をあくまでも比較の問題と考えたら、

まあカミングアウトし易くなり、まだまだではあろうが、それでも運動などもあって変わりつつある。

 

歌舞伎を観ていると、例えば歌舞伎十八番で有名な「毛抜」。

 

これ、最初は若い女性にセクハラした挙句にフラれ、

続いて美少年にセクハラしてフラれる場面がある。

 

その後、主人公が面目ないと客に謝るのがお決まり。

 

つまり歌舞伎の世界では普通にバイセクシャルが登場する。

 

ではLGBTの人ってどれくらいいるのかを考えると、

2018年の電通調査では8.9%だったそうだ。

 

この種の問題は調査方法でガラリと変わるから要注意ではあるが、

それほど少なくもなく、多くもない、と言う結果だとは思う。

 

10分の1だと仮定しても、

そもそも男女の恋愛の成立を考えても非常に難しい昨今であるから、

LGBTの人達の恋愛成立は、カミングアウトしてその種の会に入って活動しない限り、

かなり難しいのが予想される。

 

また、これは男女の恋愛にも言える事だが、

実は恋愛とは不快をもたらすケースの方が遥かに多いと言う現実を知っておくべきだと私は思っている。

 

大抵はアメリカ映画辺りの恋愛至上主義に染まっているが、

実は恋愛とはそう簡単に成立しないどころか、

≪望まない相手からのアプローチは酷い苦痛をもたらす≫と言う冷徹な現実がある。

 

これは男女やLGBTを問わない。

 

中村仲蔵のドラマのケースでは、望まない相手ではあったが、

時代背景と貧困により受け入れた場面として描かれている。

 

ようやく解放された時、実に嬉しそうな顔をして去って行く。


あくまでもドラマの解釈としては、

(史実がどうかではなく)

その相手が男だろうが女だろうが、若かろうが美形だろうが、

望まない相手とのそれは苦痛をもたらすと言う事実だ。


それを谷原章介氏は、金で買いながらも、

心も買えたと言う思い込みが最後で打ち崩された時の悲しみを見事に表現していたと思う。


金は返さなくていい、これ以上恥をかかせないでくれ、

と言う言葉。


現代にも、いや現代だからこそ充分に通じるセリフだと思った次第。


多くの現代人は恋愛の楽しい部分しか見ない。


けれどもリアルな恋愛はほとんど成立せず、

むしろ苦しむ人の方が多い。


特に現代日本においては悲しいまでの現実かと。


そこを理解しないでの安易なアプローチは非常に危険であると思う。


終わり