田村淳氏と谷本真由美氏、茂木健一郎氏の議論を見ていて感じた事 | 東京・横浜物語

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「田村淳氏と谷本真由美氏、茂木健一郎氏の議論を見ていて感じた事」

 

AbemaTVでヨーロッパのサッカー選手が日本人に人種差別発言をしたと言う問題について、

田村淳氏、谷本真由美氏、茂木健一郎氏らを招いて議論していました。

 

ちょっと呆れてしまった事があり書いてみたいと思います。

 

そもそも私達日本人の多くは欧米諸国に対して非常に大きな憧れを持って眺めています。

 

しかもただ眺めているだけでなく、

その文化や文明を享受しまくっています。

 

欧米的である事は2021年の現在でも充分にオシャレであるのを意味しています。

 

ところがその文化や文明を理解しても今を生きる生身の欧米人を全く理解していません。

 

これはそもそも短期の旅行くらいでは無理ですし、

仮に日本国において隣に欧米人がいても大抵日本贔屓の人なので典型的なソレではありません。

 

従って私達日本人は、日本に生まれ育ち、日本だけに暮らしていると、

全く理解不能な世界があるのに気付けないままでいます。

 

これは一言で言うなら「人種差別と攻撃性」となります。


これは日本人の想像を超える非常に強いものです。

 

さらに厄介な事に現代の私達日本人は政治思想の左右を問わず、

「戦後民主主義の洗礼」を受けてしまっています。

 

これも一言で言うなら「みんな仲良く話せば分かる」となります。

 

この性質は、人間の持つ暴力性、残虐性に踏み込んで行く時、

途端に無力になってしまう特徴があります。

 

例えば少年の巻き起こした残虐な事件を想定します。

 

この無力さをこれまでの私達は事件を「無視する」「なかった事にする」

「殺された方が悪かった事にする」と言う手法で切り抜けて来ました。

 

人権弁護士と呼ばれる連中が幅を利かせて被害者を逆に痛めつけて無視して来た経緯があります。

 

さらに最近では「言葉狩り」と言う手法を見つけて、

この種の問題に踏み込んで行く論者に対して「言葉が悪い」だの「単語が悪い」だのと言って、

議論そのものの妨害を画策します。

 

驚くべき事に当人は全くこの悪質性に気付いていませんが。

 

さて、リンクを貼った動画においては、

長年イギリスに暮らしている、ツイッターでは「めいろま」として有名な谷本真由美氏をゲストにして、

議論をしているのですが、

これに対して田村淳氏が激怒して咬み付き、話題になっている、と。

 

正直、日本のテレビで活躍している人達は全員、

この戦後民主主義から一歩も抜け出せていない哀れさを感じてしまいます。

 

つまり、暴力問題について本質的な部分に切り込んで行けないのだ、と。


このリンクを貼った動画を見た時に何を感じるのか?が分かれ目です。

 

田村氏の意見にもし賛同しているのならば、

戦後民主主義を一歩も抜け出していない人となります。

 

谷本氏の意見に賛同するのならば、

ヨーロッパ社会の現実を良く理解している人となります。

 

ちなみに茂木健一郎氏に賛同する人は、

上手に仲裁するテクニックを理解している人となります。

 

個人的な意見としましては。

 

戦後民主主義者には人種差別だとか暴力の問題の議論はそもそも無理だと考えています。

 

時間の無駄です。

 

家で念仏でも唱えていて下さい、としか言い様がありません。

 

これは酷いな、と言うのが私の感想であります。

 

議論そのものを成立させない、させないように仕向ける無意識のテクニック。

 

これは相当、酷い。

 

終わり