「どこからお話ししましょうか 柳家小三治自伝」柳家小三治著 岩波書店
柳家小三治師匠は個人的に非常に特殊な思い入れがある落語家です。
幼い頃、私に落語の英才教育を仕掛けて来た亡き父ですが、
特に落語好きにはなりませんでした。
嫌いでもなく、どちらかと言うと好きな方ですが、
寄席に通う訳でもなく歳を私は取ったのです。
ところが隔世遺伝で超落語好きになった娘と共に、
4年ほど前から始まった激しい寄席通いではあります。
従って、恥ずかしながら落語事情はつい最近まで全く知りませんでした。
しかしながら、落語の超マニアだった父が昔よく「柳家小三治が今最高だ」とは言っていたのをよく覚えています。
するとそのうちに柳家小三治師匠はオートバイに乗り始めて、
盛んにテレビに登場するようになり、
当時オートバイにのめり込んでいた私にとって、
小三治師匠は落語ではなく、オートバイに乗る面白い大人として興味を持ったのであります。
相変わらず寄席には行きませんでしたが、
父が買った小三治師匠の本「ま・く・ら」や「もひとつ ま・く・ら」などを読み、
面白いな〜と思ってました。
とうとう人間国宝にまでなった師匠。
そうしてつい最近、大きくなった娘と行った寄席で柳家小三治師匠の生の落語を初めて聴いた、と。
この感覚は、何と喩えたら良いのでしょうか。
直ぐ近くにいながら、全く良さを知らずに歳を取り、
老いてから突如好きになった幼馴染みとでも言いましょうか。
ちなみに私の父方の家系は超江戸っ子で、
歌舞伎と落語は基本だったとつい最近知ったのです。
随分と遠回りをしたけど、血は結局私を落語に引き寄せたのだな、と感じてます。
この本は、アッと言う間に読んでしまいました。
江戸っ子、それも山の手系の小三治師匠、
趣味はオートバイとクラシック音楽。
そして今や私の新しい趣味に加わった落語。
これほどマッチする内容はそうはありません。
新型コロナウイルス禍で読書は無理になってましたが、
昔の東京の感覚は、自分の血もしくは遺伝子にダイレクトに訴えて来ます。
大変大変大変楽しく読めました。
ウイルス禍が去ったらまた寄席の行列に並んで小三治師匠の落語を聴きたいと思った次第です。
終わり