中国ドラマ「琅琊榜(ろうやぼう)-麒麟の才子、風雲起こす-」
DVD27枚、全54話。
恐ろしく面白い中国のドラマにハマッてしまい、
色々と考える事があったので記事にしたいと思います。
色々と考える事があったので記事にしたいと思います。
このドラマは中国と台湾で大人気となったものです。
当記事におきましては、ドラマの内容と言うよりも、
今、日本にとって最も厄介な隣国をどう考えて、
どう具体的に対処すべきなのかに焦点を当てたいと思っております。
今、日本にとって最も厄介な隣国をどう考えて、
どう具体的に対処すべきなのかに焦点を当てたいと思っております。
中国は昔から非常に厄介な隣国であり、
しかも今や超大国になった、世界に残された唯一の帝国主義国家と言ってもいいでしょう。
しかも今や超大国になった、世界に残された唯一の帝国主義国家と言ってもいいでしょう。
中国の周辺の国では征服されてしまったり、
領海を強引に奪われている事態が頻発しています。
領海を強引に奪われている事態が頻発しています。
日本も例外ではありません。
こちらがどんなに嫌だ、止めろと言葉で言っても聞く耳を持っていません。
それどころか強大な軍事力を背景にどんどん向こうから近付いて来ています。
その軍事力は年々増大しています。
しかし日本がやっている事は相変わらず戦後民主主義の「みんな仲良く話せば分かる」か、
帝国主義時代のやたらと威勢のいい「自衛隊の装備は凄い」や「日米安保がある」と言う、
要するに右も左も言葉遊びだけです。
帝国主義時代のやたらと威勢のいい「自衛隊の装備は凄い」や「日米安保がある」と言う、
要するに右も左も言葉遊びだけです。
そしてやたらと感情的になって喚き散らしているだけです。
謝り続けていればいい、とか、自衛隊で充分撃退出来る、とか。
実のところ、中国もアメリカもロシアも非常にしたたかな国です。
明確な戦略を持って、非常に強力な軍事力を背景に様々な謀略を仕掛けてくる国です。
では、このような戦略的な国家に対し、
どのように「具体的に」対応したら良いのでしょうか?
どのように「具体的に」対応したら良いのでしょうか?
日本はかつて、帝国主義時代においては、
敵国であったアメリカ・イギリスに対して「鬼畜米英」と呼んでいました。
敵国であったアメリカ・イギリスに対して「鬼畜米英」と呼んでいました。
そして英語を「敵性言語」として、迂闊に使用していたら逮捕されてしまう時代でした。
これに対してアメリカは、日系人に対して大変な差別と収容所への隔離もありましたが、
日系人部隊を編成して、日本語の解読や日本軍の研究に多大な努力をしていたのも一面の事実です。
日系人部隊を編成して、日本語の解読や日本軍の研究に多大な努力をしていたのも一面の事実です。
感情は感情として割り切って、
あくまでも戦争時には敵の分析を冷静にしてくる、と。
あくまでも戦争時には敵の分析を冷静にしてくる、と。
現在の日本は北朝鮮のミサイル問題にばかり気を取られていますが、
一番恐いのは依然として中国です。
一番恐いのは依然として中国です。
日本もかつてアメリカが日本に対してやっていたような日本研究を、
中国に対してやる必要があるのは言うまでもありません。
中国に対してやる必要があるのは言うまでもありません。
中国と敵対している以上、敵対しているからこそ、
中国と言う国家や中国人を深く理解する必要があります。
中国と言う国家や中国人を深く理解する必要があります。
掲題のドラマは中国人が熱狂した訳ですから、
中国人の琴線に触れる何かがあると考えていいでしょう。
中国人の琴線に触れる何かがあると考えていいでしょう。
このようなドラマを見るのは中国を理解するのに大変役立つと今回非常に強く感じたのであります。
では、中国人の多くが大変熱狂したと言うこのドラマについて先ずは書いて行きます。
↓詳細なあらすじや登場人物は以下のリンクを参照下さい。↓
https://www.ch-ginga.jp/feature/rouyabou/
https://www.ch-ginga.jp/feature/rouyabou/
ともかくこのドラマは1話45分、全54話ですから、
長い上に内容的にも中国の昔の朝廷の抗争劇を、
恐ろしくリアルに描いてきてます。
長い上に内容的にも中国の昔の朝廷の抗争劇を、
恐ろしくリアルに描いてきてます。
生半可な内容ではありません。
究極の人間ドラマと言えます。
おそらく日本でもアメリカでもこの種のドラマは絶対に作れないと感じます。
良くも悪くも中国ならではのドラマです。
陰謀につぐ陰謀。
悪人と善人の大抗争。
しかし、そう簡単に善悪を決められない場面も連続します。
このドラマはおそらくは西暦500~600年代くらいを想定した、
架空の歴史ドラマです。(間違っていたら失礼)
架空の歴史ドラマです。(間違っていたら失礼)
火薬は使用されていますが、大砲や鉄砲は無いため、
そのくらいの年代と推測します。
そのくらいの年代と推測します。
舞台となるのは帝国「梁」の首都「金陵」です。
梁では皇帝が世継ぎである皇太子(ただし無能。母親が有能)を決めるも、
有能な別の皇子と皇位継承を争うことで取り敢えずのバランスを保っている状態です。
有能な別の皇子と皇位継承を争うことで取り敢えずのバランスを保っている状態です。
誰が次の皇帝になるのか?
そこで帝国の知の集積場所である「琅琊閣」に2人の争う皇太子と皇子が訊きに行くと、
「麒麟の才子を得たものが天下を取る」との同じ返答を得ます。
「麒麟の才子を得たものが天下を取る」との同じ返答を得ます。
主人公はその麒麟の才子である梅長蘇で、
三国志の諸葛孔明をもっと凄くしたような戦略家として描かれています。
三国志の諸葛孔明をもっと凄くしたような戦略家として描かれています。
謎に包まれた人物ですが、実は現皇帝とも縁のあるかつては武人でした。
戦争時に味方の謀略に遭ってしまい、毒を浴びて風貌が変わっているため、
ほとんどの人は気付きません。
ほとんどの人は気付きません。
彼は争っている皇太子や皇子とは全く違う、
誰も注目していなかった第七皇子(靖王)を選びます。
誰も注目していなかった第七皇子(靖王)を選びます。
そして、様々な陰謀の中・・・というストーリーです。
何がどう面白いのか?と言いますと、
皇位継承の争いは、単純に当人だけでなく、
その母親と後宮の者達、朝廷の奸臣達をも巻き込んで、
人間ここまで汚く人を陥れるのか?と言うくらい徹底的に汚い罠を仕掛けまくるのであります。
皇位継承の争いは、単純に当人だけでなく、
その母親と後宮の者達、朝廷の奸臣達をも巻き込んで、
人間ここまで汚く人を陥れるのか?と言うくらい徹底的に汚い罠を仕掛けまくるのであります。
日本人の想像を遥かに超えてます。
日本の歴史ドラマでもここまで汚くて残酷な事はしません。
主人公と主な登場人物は名優が揃っているばかりか、
脇役までもが素晴らしい役者のオンパレードだと思います。
脇役までもが素晴らしい役者のオンパレードだと思います。
正直に言いますと、日本の映画やドラマでは必ずジャリタレが出て来て、
たとえ脇役でも1人でもそういうのがいたら台無しにされてしまいます。
たとえ脇役でも1人でもそういうのがいたら台無しにされてしまいます。
それがこのドラマではありません。
唯一気になるシーンは、これはあくまでも文化の差だと思うのですが、
個人と個人の戦闘シーンが中国人好みの有り得ない特撮を使用しているくらいでしょうか。
個人と個人の戦闘シーンが中国人好みの有り得ない特撮を使用しているくらいでしょうか。
まあ、これは派手好みの中国人の演出と言うことで納得して楽しんでおけば良いかと思います。(笑)
さて、私がこのドラマを通じて深く感じている事は、
「国家とは何か?」そして「それは如何に統治されるべきなのか?」と言う根本的な問いに対する回答がある点です。
「国家とは何か?」そして「それは如何に統治されるべきなのか?」と言う根本的な問いに対する回答がある点です。
世界史の上でも最も古い歴史を持つ中国は、そして中国人達は、
国家、政治、法律、統治、指導者、戦争などをどのように考えているのか?が、
このドラマを通じて嫌と言うほど見せつけてきます。
国家、政治、法律、統治、指導者、戦争などをどのように考えているのか?が、
このドラマを通じて嫌と言うほど見せつけてきます。
戦後民主主義の平和国家日本で生きていると絶対に分からない見えないものがあります。
しかしそれは国家を考える上で絶対に避けては通れないものです。
「武」
このドラマの最後の方で、現皇帝は実の息子である皇太子による反乱に遭います。
隙を突かれてしまい、皇太子軍は5万の軍勢を引き連れて向かってきます。
皇帝の軍はその時3000。
城門が打ち破られようとする時、
奸臣達は恐れおののきます。
奸臣達は恐れおののきます。
しかし、かつて梁が他国の連合軍に囲まれた時、
たった1人で敵を説得しに行き、見事に敵の連合に揺さぶりをかけて反撃に成功した男が、
突然皇帝の前で剣を抜きます。
たった1人で敵を説得しに行き、見事に敵の連合に揺さぶりをかけて反撃に成功した男が、
突然皇帝の前で剣を抜きます。
そして皇帝に言います。
「かつて陛下も剣を抜いて戦かったではありませんか。何故今その宝剣を抜かぬのか?」と。
こうして皇帝も剣を抜き、奸臣達も全員剣を抜き、戦いを決意します。
城門が破られる時、皇帝直属の梁で最強の将軍も剣を抜き、兵士達に檄を飛ばします。
「反乱軍がやって来るぞ。俺はアイツらを全員殺したい。
オマエらも殺したくはないのか?」と。
オマエらも殺したくはないのか?」と。
兵士らは将軍に応え、全員剣を抜き突撃して行くのであります。
戦争は英雄を生み、人間は戦争を好んでいる。
憎い敵を殺すのは喜びである、と。
こうしてギリギリで味方の援軍が到着して助かる現皇帝達。
しかし、このドラマで最大のテーマである、
味方の謀略でかつて反乱軍の汚名を着せられて殺された七万の軍人の名誉回復の行為は、
結果的にそれまで何とか安定していた他国との関係において決定的な弱みとなり、
帝国「梁」は再び近隣諸国から一斉に攻められる憂き目に遭ってしまいます。
結果的にそれまで何とか安定していた他国との関係において決定的な弱みとなり、
帝国「梁」は再び近隣諸国から一斉に攻められる憂き目に遭ってしまいます。
新皇帝となったかつての第七皇子は、
和睦を唱える奸臣達を抑え、
戦争を決意します。
和睦を唱える奸臣達を抑え、
戦争を決意します。
多くの日本人は忘れ去って久しいと思います。
政には政で応え、商には商で応える。
そして武には武で応えなくてはならない、と。
相手を弱いと思ったからこそ敵は攻めて来る訳です。
攻められた時、和睦など出来ない事を知っているのが本来の為政者でありましょう。
敵の目的は領土の侵略と略奪と、そしてその後の統治です。
長い長い歴史を通して、中国の優れた為政者達は和睦など出来ないことを知っています。
結果的にこの戦争は梁の勝利で終わります。
そしてドラマも終わります。
ここで主人公ではなく、非常に優れていて興味深い人間像を挙げてみたいと思います。
先ずは梁の皇帝です。
冷酷で無慈悲な人間とドラマ内では言われ続けます。
実際に頻繁に激怒しますし、裏切者には情け容赦しません。
ところがこの皇帝は決して無能者ではありません。
むしろ統治者としては非常に優れた才能を持っています。
唯一頭を悩ませているのは皇位継承者だけです。
皇子達や奸臣の動き、さらには後宮の情報まで熟知しています。
しかし色仕掛けでのし上がって来た女性には弱く、
結果的にその女性との間に出来た子を皇太子にしてしまうところが如何にもなドラマです。
結果的にその女性との間に出来た子を皇太子にしてしまうところが如何にもなドラマです。
男を落とすために「色」を躊躇なく使ってくる女性の威力。
しかし結果的に皇帝はこの女性とその子(皇太子)を排除してしまいます。
誠実で、実直で、情の深い、第七皇子とその母親を最終的に選ぶ訳です。
そしてそれこそが自分の皇帝としての終わりに繋がって行くと言う、
何とも言えない結末になります。
「朕とて、かつては情けもあったのだ。あの玉座に座るとオマエもいずれ分かる」と言うセリフも残します。
皇帝はかなり魅力的な人物に描かれていると私的には思っております。
続いて、絶対に無視できないのは皇帝に長年使えている側近中の側近である、
「高湛(こうたん)」(写真参照)と言う男です。
「高湛(こうたん)」(写真参照)と言う男です。
常に皇帝の近くにいて、皇帝が最も信頼している人物です。
タヌキそのもののような男なのですが、
これがまた一筋縄では絶対に行かないタイプで、
日本でもアメリカでも、ヨーロッパにすらいないのでは?と思わせるほどの、
徹底的な皇帝の補佐役として厳然と存在しているのです。
これがまた一筋縄では絶対に行かないタイプで、
日本でもアメリカでも、ヨーロッパにすらいないのでは?と思わせるほどの、
徹底的な皇帝の補佐役として厳然と存在しているのです。
何かと言うと皇帝は「高湛を呼べっ!!」と叫んで、
色々と意見を聞いたり、皇帝の絶対の秘密も共有していますが、
他人にばらして自分が権力を得ようなどとはまるで考えていない男です。
色々と意見を聞いたり、皇帝の絶対の秘密も共有していますが、
他人にばらして自分が権力を得ようなどとはまるで考えていない男です。
あくまでも皇帝をずっと補佐し続けて行くと言う、
絶対的な信念をさり気なく持っていて、その役割を全うしようとしています。
絶対的な信念をさり気なく持っていて、その役割を全うしようとしています。
皇帝の全てを把握している重要人物で、
それをこの役者(写真参照)が見事に好演しているのであります。
それをこの役者(写真参照)が見事に好演しているのであります。
最後の最後の場面で実に感動的なシーンがあります。
このドラマの終わり方は非常に変わっています。
強いて言うなら源氏物語みたいです。
光源氏の死の様子は源氏物語には書かれていません。
突然、宇治十帖と呼ばれる次の代の物語になっています。
このドラマも突然場面が切り替わり、
新皇帝となった第七皇子には既に子供が出来ていて、
結婚したばかりの時は武人である皇子が恐くて怯えていた妻が、
今や新皇帝の母とも仲良く、堂々とした態度で横にいる高湛に言うのです。
新皇帝となった第七皇子には既に子供が出来ていて、
結婚したばかりの時は武人である皇子が恐くて怯えていた妻が、
今や新皇帝の母とも仲良く、堂々とした態度で横にいる高湛に言うのです。
「貴方ももう歳を取っているのですからもっと厚着をしなさい。」と。
かしこまる高湛。
前皇帝は失脚するような形で死んだと推測されるのですが、
高湛だけはずっと新しい皇帝のもとでもしっかりと仕えている。
高湛だけはずっと新しい皇帝のもとでもしっかりと仕えている。
「信」そして「臣」とは如何なるものなのか。
それを理解している者はしっかりと高湛のような男も受け継いで行く、と。
このドラマの恋愛と登場する女性についても書いておきます。
女性の「色」の魅力を躊躇わずに使用する女も出てきます。
しかし反面、揺るぎない愛を見せつけてくる女も出てきます。
二番目に失脚してしまう大謀略家の皇太子(誉王)の妻は、
夫がどんなに冷酷で自分(妻)を大事にしていないのにも関わらず、
それでも夫と一緒に素敵な家庭が築けるとずっと信じて夢見ている女性です。
夫がどんなに冷酷で自分(妻)を大事にしていないのにも関わらず、
それでも夫と一緒に素敵な家庭が築けるとずっと信じて夢見ている女性です。
温かい家庭への憧れが如何なる局面でも揺るがない女。
これはかなり凄味のある女性でした。
また、皇帝直属の密偵機関の女性「夏冬」(写真参照)も凄いです。
戦争で死んだとされる夫への愛は全く揺るがないのです。
夫は実は生きていて変わり果てた姿で最後の方に登場します。
もうかつての面影は全くありません。
それどころか異様に醜い姿になっていますが、
夏冬はそんな事などまるで意に介さず、ただひたすら夫を愛し続けるのです。
夏冬はそんな事などまるで意に介さず、ただひたすら夫を愛し続けるのです。
これはまた凄い女が登場するなと思ったのであります。
そして最後にとても大切な武人について書いておきたいと思います。
このドラマでは最もカッコ良く描かれているのは武人です。
皇帝直属の禁軍大統領の蒙将軍など、シビれるような戦い方をします。
自分の武力を信じていて、どんな敵であろうとも逃げない男。
最終的に新皇帝になる第七皇子「靖王」に仕えている腹心も無骨だけれど実直で死を恐れない武人です。
中国人は武人を大切にして、さらに憧れているのだと良く分かります。
そして国家と言うものは、弱くなったら襲われてしまい、
簡単に征服されてしまうものなのだと考えているようです。
簡単に征服されてしまうものなのだと考えているようです。
逆に言えば、自分が強い時は他国を侵略して奪うのだと考えていると言えます。
それは古代から連綿と続いている1つの真理として捉えていると感じます。
今の中国の振る舞いはまさしくそうであり、
かつての中国はもちろん弱い時もあったし強い時もありましたし、
征服された歴史もあります。
かつての中国はもちろん弱い時もあったし強い時もありましたし、
征服された歴史もあります。
今は強い時なのです。
だから攻勢に出ている、と。
日本はこういう相手に対しては、
かつての帝国主義的メンタリティを捨てて、
中国語を大勢の若者が学ぶ必要があると私は考えています。
かつての帝国主義的メンタリティを捨てて、
中国語を大勢の若者が学ぶ必要があると私は考えています。
中国語を学べば単に語学的なノウハウだけでなく、
彼らの文化や性格、行動パターンが理解できるようになります。
彼らの文化や性格、行動パターンが理解できるようになります。
そしてその中国語能力を使用して人脈を築いて行くのです。
政治の場面においても、商業の場面においても、
あるいは文化交流の場面においても。
あるいは文化交流の場面においても。
人間は、外国人が自分の国の言語を喋って来た時、
間違いなく心をつい許してしまいます。
間違いなく心をつい許してしまいます。
だから騙せと言っているのではありません。
人脈をどんどんと築いて行けば、
相手をがんじがらめにする事が可能になります。
相手をがんじがらめにする事が可能になります。
今、日本は「商」として中国にからめとられようとしています。
ならばこちらも「商」を有利に展開するためにも相手の言語を使用する必要があります。
政にはもちろん政で応え、議員にも中国語の素養を持たせる必要があります。
そして最終的に「武」の局面においても、もちろん中国語は威力を発揮します。
今、日本は直ぐ隣の隣国である中国とも韓国とも北朝鮮とも非常に仲が悪い状況です。
こういう時こそしたたかに中国語や韓国語を駆使して政治や商売に役立たせ、
最終的には武の局面でも勝てるようにしないとならない、と思うのです。
最終的には武の局面でも勝てるようにしないとならない、と思うのです。
しかしやっていることは逆です。
大学で中国語や韓国語を学ぶ者が極端に少なくなっているそうです。
かつての帝国主義メンタリティは即座に捨てるべきでありましょう。
相手を研究し、したたかに対抗せよ、と。
終わり