外国人のセックス問題(江戸時代末期~) | 東京・横浜物語

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西麻布に生まれ育ち、現在は横浜に居住する筆者が、
色々語って行くブログです。

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先日、偶然参加した「たばこと塩の博物館(東京スカイツリー近く)」における、
「たばしお寄席」と、その後の対談においてとても興味深い話が聴けたので書いてみたいと思います。

江戸時代末期、欧米列強が日本に開国を迫り、
結果的に横浜を開港したのは有名な日本史の史実です。

それ以降の日本は、横浜から始まる文明開化と富国強兵の道を進んで行きます。

さて、人間が集まると当然大問題になるのは、
はっきり言ってしまうとセックスになる訳です。

日本人はそれまでほとんど接したことのない外国人でしたが、
横浜にどんどんと居住し始め、日本人と接点を持つようになりました。

当然の事ながら商売だけで済む訳はありません。

恋愛もあれば結婚もあり、女遊びもあった訳です。

元々江戸時代の江戸には売春を管理するために遊郭がいくつか設けられていて、
一番有名だったのは吉原でした。

横浜開港により、外国人のためのセックスを提供する場所として、
港崎遊郭(みよざきゆうかく)を、1859年(安政6年)11月10日に横浜に作ります。

この場所は現在の横浜球場辺り(横浜公園)だったそうで、
今でも注意深く横浜公園内を観察すると当時の遊郭の跡の小さな碑があるそうです。

その構造は江戸の吉原遊郭をモデルにして作ったそうです。(浮世絵参照、Wikiより借用)

ちなみにその接客方法は長崎の丸山遊郭をモデルにしたそうで、
なるほどと妙に納得してしまいました。(この情報はWikiによる)

この遊郭では「岩亀楼(がんきろう)」と言うお店が最も有名だったそうで、
当時、非常に流行っていたそうです。

なんと浮世絵も残されています。(浮世絵2参照、Wikiより借用)

羽振りのいい外国人が相手の遊女ですから、
さぞかし美人が相手をしていたのかと思いきや。

外国人相手の遊女は当時かなり格下に見られていて、
言葉は悪いですが、容姿の劣った遊女が専属になって外国人を相手にしていたと説明してくれました。

歌舞伎や落語、文楽は主に江戸時代の風俗を描いている伝統芸能でありますが、
明治時代以降、日本は大きく大きく変わって行き、
当時の欧化政策は現代においてこそますます盛んになっているのでは?などと思ってしまいました。

日本人の精神を、と強く主張する保守系の人はとても多いです。

しかしながらその精神の根本は今やほとんど失われていて、
歌舞伎や落語、文楽の世界でしか垣間見ることは出来ません。

もう私達日本人はかなりの点において欧米化されてしまっています。

そして外国人との接点を持つことを無邪気に主張する人達は今でもとても多いです。

しかしながら、セックスの問題を全く考えなかった場合、
それは人間の本質を何も見ていない戯言に過ぎないと私は思っています。

外国人との交遊にはある一定の覚悟が必要である、と。

終わり