先ずは以下の2作品をご覧頂きたい。

↑「真珠の耳飾りの少女(青いターバンの少女)」
制作年代:1665年頃 油彩・カンヴァス 44.5 × 39cm
マウリッツハイス美術館(オランダ・ハーグ)所蔵

↑「絵画芸術(アトリエの画家)」
制作年代:1666〜1667年頃 油彩・カンヴァス 120 × 100cm
美術史美術館(オーストリア・ウィーン)所蔵
どちらもヨハネス・フェルメール(1632-1675)の最高傑作とされているものだ。
しかし、何故「最高」と謳われるマスターピースが2作品あるのか???
大抵の方は「真珠の耳飾りの少女」は直ぐに素晴らしいと感じるはずだ。
ラピスラズリの印象的なウルトラマリンブルー・・・・・
そして少女の振り向いた瞬間的な表情を見事に捉えている。
これは素晴らしく美しい、と。
一方「絵画芸術」の方は・・・・・
「えっ!?何でこれがフェルメールの最高傑作なの???ゴチャゴチャしてるし・・・・・」
と拍子抜けする方も多いと思う。
と拍子抜けする方も多いと思う。
実際に美術史美術館で本物を鑑賞された方の本を読んでも同様の感想を持つ人は多い。
だが・・・・・
絵画の専門家ほど、優れた画家ほど、
この「絵画芸術」がどれほどの名作なのかを瞬間的に理解してくる。
この「絵画芸術」がどれほどの名作なのかを瞬間的に理解してくる。
事実、フェルメールは最期まで「絵画芸術」だけは売らずに手元に置いておいたのである。
余談:ナチス・ドイツのアドルフ・ヒトラーは壮大な「ヒトラー美術館」の構想を抱いていた。
ヨーロッパ中から素晴らしい作品を収集していた。
ヨーロッパ中から素晴らしい作品を収集していた。
だが、戦局の悪化と共に、地下深く、岩塩坑の中に隠していた。
敗戦が決定的になった時。
ヒトラーは美術作品の全ての爆破を命じた。
上記のフェルメールの最高傑作の1つ「絵画芸術」も含まれていた・・・・・
だが坑夫達は命令に従わず、この人類史上、最高傑作とも謳われる絵画を守り通した。
その業績は偉大だ。
今、ウィーン美術史美術館においてこの作品を鑑賞できるのは彼らのお陰なのである。
今、ウィーン美術史美術館においてこの作品を鑑賞できるのは彼らのお陰なのである。
閑話休題
何故、この作品を???
実は、この「絵画芸術」・・・・・
空間や質感の描写と言う点において。
「2点透視図法」「消失点」と言った絵画技法を極めてしまっているらしい。
つまり、絵画技法の頂点に達している、と。
さらに。
この絵画は絵画的に当時最高位にある「歴史画」としても考えられている。
従って、この作品の中には寓意が満ちていて、
また謎も多く含まれている。
また謎も多く含まれている。
要するに、この「絵画芸術」を鑑賞するためには、
鑑賞者にもそれなりの知識・教養が要求されていると言う事なのである。
鑑賞者にもそれなりの知識・教養が要求されていると言う事なのである。
分からない者は、この絵画の偉大さを本当にまるで理解できない。
なんかゴチャゴチャしているだけ、と。
芸術を鑑賞して、真にその楽しみを享受するためには。
鑑賞者にも高度なレベルが要求されて来るのである。
今の私には、残念ながら「絵画芸術」を真に楽しめるための知識も教養も不足している。
だが、いずれ。
絶対に私はウィーンに行く。
それまでの間に。
この作品を真に理解できるレベルに達したいと思っている。
長い追記:音楽の鑑賞のために
音楽を例に考えてみたい。
小さい子供がピアノを習い始めたり、クラシック音楽を鑑賞し始めると。
大抵は「モーツァルト」「ショパン」「ベートーベン」を好きになる。
以前、私の娘がピアノを習い始めた頃(保育園時代)、
先生に「誰が好き?」と尋ねられたら「バッハ」と答えた。
(当時は私の影響を凄く受けていた。笑)
先生に「誰が好き?」と尋ねられたら「バッハ」と答えた。
(当時は私の影響を凄く受けていた。笑)
すると先生は「珍しいですね。子供でバッハが好きとは・・・・・」
と酷く驚かれた。
と酷く驚かれた。
実際、私的にもそう思う。
余程の音楽教育を受けた子供以外では有り得ない。ともかく珍しいと思う。
(私の娘の場合は、そばで聴いていて、オウム返しに答えたに過ぎない。苦笑)
(私の娘の場合は、そばで聴いていて、オウム返しに答えたに過ぎない。苦笑)
世間一般として考えた時、バッハ好きの子供は先ずいないと看做して良い。
何故なのか???
それはバッハ音楽は普通の旋律音楽とは決定的に違っているからだ。
モーツァルトやショパン、ベートーベンの音楽は現代音楽と基本的には同じだ。
旋律を重視している音楽。
しかしバッハの音楽は「対位法」音楽だ。
バッハ音楽の真髄・真骨頂は「対位法」にあると言っても過言ではない。
それはバッハ自身も述べているほどだ。
フーガとは神を称えるためにあり、神の御業だ、と。
だが、この対位法音楽と言うヤツ。
非常に有名なトッカータとフーガ ニ短調 BWV 565などでも、
フーガの方は非常にゴチャゴチャと聴こえるだろう。
フーガの方は非常にゴチャゴチャと聴こえるだろう。
何だか複雑で良く分からない、と。
つまり、バッハのフーガは鑑賞者に高度なレベルを要求してくる。
ドイツの大教会をご覧になった方はいるだろうか???
信じられないくらい巨大で壮大で、しかし緻密だ。
見る者を圧倒し、そして調べれば調べるほど深みにハマって行く。
バッハの音楽を聴いていると、
時に私はケルンの大聖堂を思い出す。
時に私はケルンの大聖堂を思い出す。
フーガとは。
バッハのフーガとは。
鑑賞者が、演奏家が、耳を研ぎ澄ませ、
その複雑な旋律の絡み合いと展開を聴き分け、
同時に和音の進行をも分解し、
そして統合し、音楽として享受しなくてはならない。
その複雑な旋律の絡み合いと展開を聴き分け、
同時に和音の進行をも分解し、
そして統合し、音楽として享受しなくてはならない。
それは時に巨大な壁として立ちはだかる。
バッハの対位法音楽とは。
許された者のみが享受できる喜びなのではあるまいか?と時に思う。
今の私の耳と音楽的才能は、余りにも低過ぎて・・・・・
本当に私はバッハを理解し、楽しんでいるのか?と自問自答してしまう。
終わり