無作為を作為する(絵画) | 紙に絵筆

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大好きな絵を描いていると、ものの見方、感受性が少しずつバージョンアップしていくのを感じます。絵を描くことは私にいろいろなことを教えてくれます。絵を描くことで気付いたり学んだことを皆さんと共有できたら嬉しいです。


湖東三山 百済寺の池


アーティストの中には偶然性を狙って作品を創り上げる手法を

積極的に取り入れている人も多くいると思います。

この世は自分の意図したようには動かないものなのですから

時空に支配された何かしらの偶然が積み重なって流れていく・・・

そう理解して見ることにします。

私たちの描く絵もその偶然の積み重ね、どんな作品になるか

出来上がって見ないとわからない、意図しながら描いても

その予測に反して変化していく画面に、私たちは創作の楽しみ、喜びを得るのだと思います。

特に水彩画は重力による水の動きとその時間の変化に伴う変化に

偶然性を非常に感じさせる画材であり、

その分コントロールが難しいですが、偶然性をより多く楽しめるのだと思います。

意図しない偶然が作品を魅力的なものにすることもたまにはありますが、

作家の多くは意図して偶然を作り出しているのだと思います。


猪股先生が“無作為の作為“を書籍「リアリティーとは何か」の中で

以下のように語られています。

“作為が全面的に作品に出てしまうと人は敏感にその中に嫌味を感じ、

作品のリアリティーを阻害する要因となる。

絵の具の跳ね、滲みのような偶然性を利用した作品作りは

手で描かれた作品にはよく見られる手法です。

作為的に描く過程で無作為に生まれたものを作品に取り込む事で

より自然に感じる魅力的な作品作りが可能になります。

しかしこの偶然性はコントロールされることで作品としての意図と方向性が保たれます。

コントロールが失われてしまうと作品として整合性が失われてしまいます。“


作品全体としての整合性、画面の中の部分と部分の関係性に注目してコントロールする

その大切さは“偶然性“を意図して作ることにも通じるのだと思います。