新しい本を読み始めた。

が、正直なところ、この本をブログに取り上げようか止めようかをしばらく迷っていた。

その冒頭のページからして違和感というかツッコミどころが満載のように思えたからだ。

しかしながら、本に対する向かい方としては、可否を問わずまっすぐ向かい合うべきだと思いなおした。

ということで、まずはその冒頭の部分をそのまま転記してみる。

 

転記に際して断わっておくが、ぼくは「戦後」という言葉は使わない。

「終戦」では、戦争に負けたことへの責任の所在があいまいになてしまうと考えているから。

もちろん、その責任は為政者の側にも国民の側にもある。

ということで、ぼくが使う言葉は、「戦後」ではなくあくまでも「敗戦後」

 

米軍関係者にガムをねだる子どもたち

敗戦直後の写真、姉は1945年そしてぼくは1948年生れ

 

戦後50年のあいだに、民主主義という名の愚かしい妖怪は日本にすっかり住みついてしまった。

民主主義者たちは、一様に戦前を暗黒時代と言う。しかし、麻原彰晃ごときごとき「差別主義者」は居なかった。そこで戦後50年の平和と民主主義は何を生んだ?麻原さ、などとでも言えば、逆に「正義」の名のもとに厳しく糾弾される。曰く、「保守反動!」「右翼!」「軍国主義者!」「女性蔑視!」・・・。「正義」の反論は許されない。

 

ぼくだって、単なる多数決が民主主義だなんて思っちゃいない。

が、この著者は敗戦後の民主主義が麻原彰晃を生みだしたのだと語りたいらしい。

つまり、麻原彰晃=敗戦後の民主主義だ、と。

だから民主主義は愚かしい妖怪だと言う。

こういうのを牽強付会といわずして何と表現すればいいのだろうか。

 

 

また、その次のページでは、

例えば土井たか子ごときは夏になるたびに「我々はいまだにアジアの人々との和解を手にしていないのであります!」と天皇の前で絶叫する始末、ないし不始末である。

しかし、アジアは広うござんす。北は中国から南はインドネシアまで、東は日本からインドまで、いや人によってはアジア・アフリカというわけで、アフリカ大陸まで入れてしまう向きもある。土井たか子の言い分はヨーロッパとアメリカ以外の全世界に頭を下げろと言うに等しい。無茶苦茶である。

 

地図上の区分はいざ知らず、アジアと聞いてアフリカ大陸までを含めてイメージする人など果たしているのだろうか。

これについては、1942年頃の日本の領地を示すだけで十分なのではないだろうか。

 

 

また、

マレーシアのマハティール首相などは村山富市首相に向かってアジア諸国に謝罪する必要はないと明言したし、東京裁判ではインドのパル判事は日本無罪論を主張したのである。

とも述べる。

 

が、マハティール首相日本・韓国の経済発展に瞠目しルックイースト政策を掲げた人であり、多くの学生や社会人を日本に派遣してきてもいる。

その流れの中での政治的な思惑を持った発言だという認識が欠落してはいないか。

また、インドのパル判事は、平和に対する罪と人道に対する罪戦勝国により作られた事後法であり、事後法をもって裁くことは国際法に反するなどの理由で被告人全員の無罪を主張したにすぎない。

敗戦前の日本軍による支配を「是」としたからじゃない。

 

トルコのムスタファ・ケマル・アタチュルク廟の前にて

 

もう少しこの本を読み進んでみた。

今度はイスラム教に対する認識が、あまりにも偏見に満ちたものであることに驚いた。

吉行(淳之介)さんがアラブ語さえできていたら、彼はイスラム教徒として、二人といわず、三人だって四人だって面倒をみられたはずだ。養う女の数が多ければ多いほど、イスラムの世界では慈善行為なのだから

などと書くいている。

 

イスラム教に対する誤解といおうか認識不足も甚だしい。

イスラム教の話でよく引き合いに出されるのが一夫多妻制。
その実態はその昔、戦で夫を失い寡婦となった女性を救済するために生まれた制度だという。
トルコを旅行した時のガイド氏によるとこの婚姻は、女性から求められたときにのみ成立したのだという。

さらには、先輩妻たちの了解を得ることが必要だったとも。
もっとも、不純なぼくは金持ちが己の性欲を満たすためにこの制度を維持してきた側面もあるのではないか(とぼくは疑ってもいるのだが)。
いずれにせよ、現在のトルコでは一夫多妻は法律で禁じられている。

 

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(今日の別冊付録)

 

トルコへの旅行を契機に、ぼく自身がほんのわずかだが、イスラム教について学んだことを記した過去記事を添付。

タネ本は片倉もとこ著「イスラームの日常生活」(岩波新書)

とにかく長いです。

関心があれば、お暇なときにでもどうぞ。

 

 

 

 

 

 

 

この本を読み進めるかどうかは、ただいま思案中。