歴史学者たちの間では、イスラームが「都市の宗教」だということは常識だそうだ。
が、僕(たち日本人)は、イスラームを「砂漠の宗教」だと思いこんでいる。
それは、僕(たち日本人)がイスラームの世界を西欧の眼鏡を通してしか学んでこなかったからだが、そのことについては既に述べている(こちら)。

都市を特徴づけている性格とはなにか。
「イスラームの日常世界」の著者、片倉もとこ氏は「多種多様性の共存と移動」だという。
では、ムスリムの日常生活において、それはどのように現れているのだろうか。
今日の話は、その「ムスリムの生活の多様性」の紹介なので断片的にならざるをえない。

古来、ムスリムたちは、もともと動きの激しい人たちであったらしい。
僕たちは、ヨーロッパ人が航海しはじめたことをさして、「世界の大航海時代始まる」と習ってきた。
が、はるか前に、ムスリムたちの長い大航海時代があったことは、教えられていない。
南アフリカの回りの航路を開拓したといわれるヴァスコ・ダ・ガマもアラビア人の水先案内人の助けがなければ、航海できなかったといわれる。
東南アジア地域にイスラームを伝えたのも、そうした海を移動するアラビアの普通の人だった。
イスラームには、キリスト教徒のような宣教師は本来存在しない。



海の民ばかりではない。
都市の民も動きの大きい生活をしているという。
朝、小学校の先生をつとめて夕方からタクシーの運転手をするといったように、複数の職業を持っている人も珍しくないらしい。
一生のあいだにもまた、いくつかの違った仕事に就くという。
日本の終身雇用など、彼らには信じられない。

では、なぜ彼らはそのように動きのある生活をしているのか?
それは、ハディース(預言者ムハンマドの言行録)にのっとって生活しているからだという。
ムハンマドはその中で、「わたしは、礼拝もするし、断食もするけれど、家族と団らんのときをもち、友人を訪ねてあるくこともする。人生はいろんなことをするのがよいのです」といっている。
できるだけいろいろなモスクへ行くことが推奨されていることも、このことに由来している。
モスクへ参拝に行くときも、行き道と帰り道が違っている方が良いとも。

ベルリン三月革命による国民国家の成立。


中東地域では、西欧諸国の植民地を脱して国家が成立したとき、国籍を持つことを拒否した人たちも大勢いたらしい。
顔写真まで貼り付けて、」まるで囚人のようだと。
そして、今でも(本が書かれたのは約20年前)、アラビア半島では遊牧民はパスポートなどを持たないで国境をのびのびと往来している。
イスラーム圏内の女性が、「もしパスポートを所持するなら、このようなものでいいでしょう」と新聞に投書して評判になったことがあったという。

  名  前      アダムの子、人間
  出身地      土
  住  所      地球
  出発港      現世
  到着港      来世
  出発時間    未知
  所持するもの  2メートルの白い布(イフラーム
            よいおこない(善行)
            よい子どもたち(子孫)
            知識、学んだこと(イルㇺ)

この投書には、世界中の多くのムスリムたちが拍手喝采をおくった。
西欧的近代国家や国民・民族をこえるものへの意識。
人生を、この世からあの世への旅だと考える意識。
が、その背景にはある。

国民国家を超えるものとして、多国籍企業や経済連合(TPPもそのひとつ)が登場してきている。
が、それらは「経済=金をもうけること」が神のごとく人びとのうえに君臨し、全ての価値観に優先する世界だ。
イスラームの世界は、それらと比してはるかに健全だと僕の目には映る。

フウ~、昨日(日曜日)は、少し早い僕の65歳の誕生日祝い。
家族がそろって祝ってくれた、
少し飲みすぎたので、今日は息切れ。
このテーマの続きは、続編にゆだねる。