人は常に何かを信じている。
それは『自分は守られている』という考えかも知れないし、『何も信じていない』ということを信じているかも知れない。
日本人は自分たちを無宗教(特定のものを信仰していない)と呼ぶことが多い。
でも今、お寺でみんなでお祈りをしていた時にやって来たインスピレーションは、
例えばバリの人々のように、心を平穏に保つような信仰(信じている考えや存在)を持っていないということは、
何か心に人生を支える柱のようなものがないように感じた。
その「信頼の柱」がないと、人は不安や恐れを信じてしまいやすいように感じた。
バリヒンドゥー教という、バリの人々が信じているものは、人生の苦難を前向きに捉える考えを与え、バリの人々と文化を一つに束ねている。
もちろんバリの人々の人生にも、不安や迷いや苦しみはやって来る。
けれど、『信頼の柱』が心にあるから、『不安や恐れへの信仰』を信じる影響が少ない。
そんな風にバリの人々から学んでいます。
日本人には何かを信じることへの恐れがあるように感じます。
でも、人生を平穏に保ったり、人生を前向きに捉える信じるものがあるといいなぁと祈りの中で考えていました。
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バリは、日本のお盆のように先祖が帰って来るガルンガンの日々が終わって今日はクニンガンのセレモニー😇🙏
明日はバリの大晦日で、ねぷた祭りのように大きな悪霊の人形が町を練り歩くオゴオゴの日で、
明後日はバリの正月で、空港も交通機関もすべて停止して、バリ島民全員が家の中で過ごす静寂の日のニュピ🧘
日本で言うとお盆と夏祭りと正月が立て続けに来る感じかも😊
ちなみに毎回儀式の度に正装をすると、みんなが入学式の子どもを見るように喜んでくれます😁笑
Rahajeng Kuningan😇🙏