皆さん、おはようございます。
主の年2024年おめでとうございます。
年頭から能登半島地震、羽田空港での事故など災害から始まった年になりました。
終末の時を迎えており、何があってもおかしくない時代になっています。この時代だからこそ、神の視点で物事を捉え、信仰を持って受けとめる必要があります。そして、対応する必要があります。そのためには、毎年一回はお話をさせていただいています「絶対と相対」のメッセージから聖書の世界観を知る必要があります。
私たちクリスチャンも知らず知らずのうちに、神様の視点ではなく、人の視点を持って対応することを優先していきます。それは、感情論に流されるだけで、聖書の神様のメッセージから離れていきます。
そこで最初に創世記から学ぶことをしていきましょう。
創世記 1章26節
神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、
空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。」
1)人が造られた目的は 支配 するため
私たちは神様の似姿として造られました。
一番は、支配することができることです。
支配とは統治権を持つことです。国として他の国が干渉することができないのです。つまり、私たち一人ひとり干渉し合うことができない独立した存在です。ですから、私たちは神の目的に沿って、支え合うために、自分の持っているものを分配するのです。
そして支え合い分配し合うためには、次の力を持っていることを知りましょう。
①神様の似姿として、創造する力があることです。
動物は自分の棲家を作ることはできます。人は創造することができからこそ、棲家も家として建て、車や飛行機まで作るのです。これが神様から与えられている力です。
②人は神様の似姿として、赦す力があるのです。小さい子供は、喧嘩をしてもすぐに忘れて、一緒に遊びます。私たちがイエス様を信じて、神様にごめんなさいと悔い改める時に全てを忘れてくださるのです。それが赦す力ですよね。恩赦というのもその発想の中にあるのです。
③人は神様の似姿として、愛する力があります。自分の命を投げ出しても、家族を助けようとしますし、守ろうとします。どんな犠牲をも払おうとします。
④人は神様の似姿として、与える力があります。自分の持っているものを与えること、分かち合うことができるのです。
この4つの能力、創造する力、赦す力、愛する力、与える力は子どもの時から備わっている能力であり、大人になるにつれて薄れてくるのです。
この4つの力を使って、すべてのことを支配する、支え合うのです。
2)神(絶対者)のようになろうとする 罪 !
創世記2章17節
神である主は、人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのままに食べてよい。善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」
創世記3章3節〜5節
女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。しかし、園の中央にある木の実について、神は『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ。』と仰せになりました。」
そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
あなたがたがそれを食べるその時、あなた方の目が開け、あなたがたは神のようになります。善悪を知るようになることを神は知っているのです。」
創世記2章では、人に対して命じられたことがありました。それは、善悪の知識の木からとって食べてはならない。必ず死ぬと語られているのです。
しかし、創世記3章では、蛇が女を惑わすのです。そして私たちもこの蛇の誘惑にあうのです。
神様は必ず死ぬと言われたのに、蛇は「あなた方は決して死にません」「あなた方の目が開け、あなた方は神のようになります」「そして、それを食べると善悪を知るようになることを神は知っているのです。」と誘惑をして迫るのです。
神のようになろうとするのです。それが私たちの罪になるのです。
この誘惑で、善悪の知識の実を食べてしまうのです。
もちろん、それは食べるのに麗しかったら食べるでしょう。しかし、それは神様によって禁じられていました。
注目すべき言葉は、蛇が女に言った言葉、
「あなた方は神のようになります」です。
私たちが神のようになると語られているのです。それによって、私たちは神と敵対するものとなり、神を否定して、自分が正しい神であるかのように振る舞うのです。
それは的を外れた罪であり、神様の秩序から離れていくのです。
A)私たちは次の四つの方法で神のようになろうとします。とっても素晴らしいことですが、この土台(あり方)が自分を神のようにする、自分の正しさを証明しようとして行動しているのです。
①優越感から人の欠けていることを指摘するだけでなく、自分が正しいことを証明するために、隣人愛を持って人々のために貢献していくのです。
②劣等感から、自分は劣等感を隠すために行動し、成長し続けるから正しいするだけでなく、家族愛として関わる人たちの役に立とうとするのです。
③憂鬱感から、自分の寂しさや自信のなさを隠すために、人々に尽くすことで自分は正しいとするだけでなく、自己愛を持って自分を大切にする子で役に立っていると確信するのです。
④正義感から、自分の正しさを主張し続けていきます。存在愛を持って命の尊厳を大切にすることで、自分を正しいとするのです。
このように私たちは自分の弱さを隠すだけでなく、自分で自分を神のようになろうとして、高いモチベーションを築こうとするのです。
それは神様に頼ろうとするのではなく、自分中心に生きようとするエゴの生き方になるのです。
B)もう一つ大切なことは、この世の仕組みです。
この世界が暗闇の支配者であり、この世を治めているのがサタンであることを知る必要があるのです。
サタンは、蛇とか龍とか呼ばれていたのです。
(さて、天に戦いが起こって、ミカエルと彼の使いたちは、竜と戦った。それで、竜とその使いたちは応戦したが、勝つことができず、天にはもはや彼らのいる場所がなくなった。こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。ヨハネの黙示録 12章7~9節)
サタンは私たちを神様から引き離すことを計画しています。
今年は辰年ですよね。多く人たちが龍を描いています。日本の龍は竜ではないとかいう人もいますが、敬虔なクリスチャンでさえ、年賀状に龍の描かれている年賀状を送ってきたりするのです。
知らないだけだと思いますが・・・
例えば宗教と聞くとどんなイメージですが、嫌なイメージですよね。
なぜ嫌なのでしょうか?
それは相対のものを絶対とすることにあるからです。
どう見ても神でない人を絶対化したり、神のような扱いをするのです。同様に、サタンが私たちを惑わすための方法として、いくつかの方法があるのです。
それが宗教、経済、学歴、科学、封建主義、過去の出来事も自分を神のようにしようとするのです。
自分を神のようにしようとする誘惑は多くあるのです。それに気づいていないのです。偶像も占いも全て相対のものを絶対にすることです。
私たちは絶対が必要です。自分が正しいとされることが必要です。だからこそ、私たちは神の救いに目を止める必要があるのです。
なぜなら、神は絶対であり、その神に向かって私たちは信仰を持って応答するのです。
3)神様からの 救い のメッセージ
ヨハネの福音書3章16節
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ローマ3:21
すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。
ローマ3:24
ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。
ローマ10:10
人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
私たちは信じるだけで義とされるのです。これが神様からの大切なメッセージです。救いのメッセージです。
私たちは義とされていることを知るときに、どんなに今罪を犯すようなことがあっても、すでに義とされていることを覚えて、神様に立ち返ることが大切です。
私たちは信仰義人と語っていますが、この恵みに生かされているからこそ、神様を第一として歩むことができるのです。
今朝のデボーションの後に、五十嵐さんの映像を見た時に・・・
人間の価値は、神様に愛されていること!と語られていました。
私たちもこの一年、神様に愛されていることを最高の価値であると確信して歩んでいきましょう。
そのために、私たちの信仰が強まるためには・・・
①信仰義認
②万人祭司
③聖書のみ
を実行していきましょう。
信仰義認であることを自覚しないと、自分を自分で正しいとするのです。信仰義認として神様に愛されている、赦されていることを自覚しながら、いつでも神様のもとに立ち返り歩んでいきましょう。
万人祭司だからこそ、神様にとりなしの祈りと救いのための祈りができます。祭司として同時に礼拝をささげていきましょう。
清書のみですから、自分で聖書を読みましょう。人から言われるのではなく、上の原則を持って自分で聖書を読むことで、神様とのコミュニケーションをとっていきましょう。
この一年、赦され義とされているからこそ、自分を神とすることなく、神様の愛で一致して、互いに愛し合い、神様の栄光をあらわしていきましょう。
そのためにもデボーションと礼拝を通して、神様との交わりを大切にしていきましょう。