中山道歩き旅番外、富岡製糸場へ向かう途中の道ですが(2024年5月4日に訪れました)。
 
 
 
 
 
 
 
 
旧韮塚製糸場を見てみましょう。
 
 
富岡製糸場を範として設立された民間の製糸場です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
設立した韮塚直次郎。
 
 
元々、直次郎は親子ともども尾高家に仕えていて、渋沢栄一とその従兄にあたる尾高淳忠が富岡製糸場を設立する際に資材の調達などに腕を振るったそうです。
 
 
 
 
富岡製糸場は官営の製糸場として工女さんたちを育成し、その工女さんたちが各地の製糸場へ散らばり製糸業を発展させようという試みだったので
 
 
韮塚直次郎は富岡製糸場を範にした民間の製糸場を設立したのでした。
 
 
ただ、この韮塚製糸場は数年で閉場したため、予想よりも富岡製糸場へ応募した工女さんが多かったことによる一時預かり的な製糸場だったかもしれないという説もあるそうです。
 
 
 
 
 
 
 
玄関から入ります。
 
 
 
 
 
 
 
 
中は資料館になっています。
 
 
ここで富岡製糸場の入場券も購入できるようです。
 
 
 
 
 
 
 
 
そしてようやく富岡製糸場に到着
 
 
 
 
 
 
 
 
富岡製糸場の建設はフランス人指導者ポール・ブリュナの計画書をもとに1872年(明治5)には主な建造物が完成し、操業が開始されました。
 
 
器械製糸の普及と技術者育成という当初の目的が果たされた後、官営工場払い下げにより1893年(明治26年)三井家に払い下げられます。
 
 
その後、独立して株式会社富岡製糸場となるも日本最大の製糸会社であった片倉製糸紡績株式会社(現・片倉工業株式会社)に合併されました。
 
 
そして日本の製糸業の衰退とともに1987年(昭和62年)3月、操業を停止し115年の幕を閉じました。
 

 

 

 

 

 
片倉工業による貴重な昭和の時代の富岡製糸場(片倉工業富岡工場)と閉所式の様子です(一部動画を抜粋)。
 

 

富岡製糸場跡地はその後大切に保存され、国指定史跡や主な建物が国指定重要文化財になり
 
 
2014年(平成26)年6月には
 
 
「富岡製糸場と絹産業遺産群」
 
 
が文化遺産として世界遺産に認定。
 
 
さらに同年12月には繰糸所・西置繭所・東置繭所の3棟が「国宝」となりました。
 

 

 
 
 
 
 
それでは入場券を購入して入ってみましょう。
 
 
 
 
※富岡製糸場のHPから画像引用しました。
 
 
 富岡製糸場の場内図。
 
 
 
 
 
こちらは東置繭所(国宝)。
 
 
置繭所というように、生糸の原料になる蚕の繭を集めてここで保管していたそうです。
 
 
 
 
 
 
 
現在は東繭は主に富岡製糸場のパネル展示があります。
 
 
 
 
 
 
富岡製糸場の模型。
 
 
展示によっては撮影不可の物もありましたが、こちらはOKのようです。
 
 
 
 
 
 
こちらはシルクギャラリー。
 
 
富岡で作られたシルクを展示、販売しています。
 
 
富岡製糸場がなくなった後も富岡市内では生糸の生産が受け継がれていて
 
 
「富岡シルク」とブランド化されています。
 
 
 
 
 
 
 
 
東置繭所をまじまじと見ています。
 
 
レンガ造りと塗装が剥げかけた白い木の柱が年月の重みを感じさせてくれます。
 
 
さきほど韮塚直次郎が富岡製糸場の資材の調達に腕を振るった話をしましたが
 
 
明治初めにはレンガなどの西洋式建築の材料は日本には少なく苦労したそうです。
 
 
特にレンガを繋げるモルタルは当時なかったので漆喰を使ったのですが、どうすれば強度の高い漆喰になるか研究もしていたそうです。
 
 
 
 
 
 
話は変わりますが、この富岡製糸場の設立に尽力した
 
 
渋沢栄一新一万円札になりましたね。
 

 

 

 

こちらはカウントダウン中の富岡製糸場に深谷市長が訪れた時の様子です。

 

 
 
 
 
富岡製糸場でも渋沢栄一新一万円札のお祝いが行われました。
 
 
 
 
 
 
桑の葉もありました。
 
 
 
 
 
 
こちらの建物は?
 
 
 
 
 
これはブリュナエンジン
 
 
富岡製糸場の機械を動かしていた動力となったエンジンです。富岡製糸場首長のブリュナの名前から名付けられました。
 
 
現物は愛知県の明治村に寄贈されたのですが、こちらは復元したものだそうです。
 
 
 
 
③に続く。